「杯が満ちるまで」鈴木真弓さんの渾身


お客様によく訊かれます「親方、美味しい日本酒ができる一番の要件ってなに? 米?酵母?水?」


私は確信を持って申し上げます「人です」


いまでは地元の米だけではなく日本中のあらゆる場所から質のいい米を入手することが可能です。実際、蔵のフラッグシップとなる大吟醸を兵庫特A地区の山田錦で造る蔵はたくさん存在します。


酵母は各県の試験場で培養されます。各蔵で育てられる訳ではありません。


水は蔵によってはタンクローリーで他県まで汲みに行ったりもします。




いいお酒は、蔵元の高い志と杜氏が研鑽した技術 妥協のない手仕事 蔵人達の献身的な努力によってできあがるのです。



鈴木真弓さん渾身の著作「杯が満ちるまで」は、静岡酒だけをとりあげ、お酒を売る酒販店 お客様に提供する料理店 酒を醸す蔵の取材を元に書かれています。



杯が満ちるまで―しずおか地酒手習帳

杯が満ちるまで―しずおか地酒手習帳


取材といっても、鈴木さんはこの本のためだけに酒販店 料理店 蔵を回ったのではありません。彼女の静岡酒への取り組みは四半世紀をゆうに超え、すでに17年前に同じく静岡酒の著作を出版しているのですが、そこからさらに地道な取材を重ねて今回の「杯が満ちるまで」ができあがりました。


地酒の本となると、各蔵のお酒のラインアップを紹介するのが一般的ですが、鈴木さんのこの本に現れるのは「人」です。


「人」が静岡銘酒を造り、「人」が販売し、「人」が料理とともにお客様に提供することがリアルに伝わります。


蔵元 杜氏の人柄とお酒への取り組みが綿密に紹介され、それらの静岡酒をどんな人が店で売っているのかが書かれます。ですから、主人の顔が見えない量販店は登場しませんし、どんな希少な静岡酒を置いていてもチェーン外食店は取材の対象にはなっていません。もちろん料理店も料理とそれに合わせるお酒が紹介されるのですが、鈴木さんの興味の対象はどんなオヤジが調理場に立っているのか?どんな利き酒師が酒を紹介しれ来るのかに絞られます。どの店で何が飲めるかよりも先がこの本には見えるのです。


つまり「人」です。


一回の取材で人となりを把握して紹介するのではなくて、鈴木さんの長い間の人間関係の積み重ねによって「人」に焦点が当てられるのです。


静岡酒にまつわる人々を書かせたら鈴木真弓さんの右に出るものがいようはずはありません。年期と積み重ねの質が違うのです。


実際、本の中の短い文章もそのバックグラウンドにどれだけ膨大で綿密な取材があるのか、彼女の仕事ぶりを見てきた私にはよくわかります。たぶん、この本の分量の10倍のスペースが与えられても鈴木さんの筆致が鈍ることはないはずです。


静岡酒にとってこのようなライターが存在したことは幸福なことです。他の地域にいらっしゃるのでしょうか?


そして、何千軒あるのかわからないほど膨大な静岡酒をあつかう料理店が存在する中で、私の店も末席に取り上げてくださったことに深い感謝の気持ちで酒杯があふれでます。



静岡のお酒に興味のある方座右の書です。