日本酒の歴史 昭和60年代以降


昭和40年代後半になると日本酒蔵では、「このまま三増酒だけではいけない」「売れればいいだけの桶売りでは日本酒の将来はない」「自分が美味しいと思うお酒を造りたい」という若い世代が出現し始めます。酒屋さんにも全国で「自分の売っているお酒は本当に美味しいのか?」「こんな不味い酒じゃなくどこかに美味しいお酒があるはずだ」と目覚める若い世代がポツポツと現れ始めます。


昭和50年代は蔵元も酒屋さんも、志のある方々が自分たち自身が美味しいと思うお酒を造り売ろうとする試みに七転八倒した時期です。しかしながら、一般消費者の認識は「大手酒造=安心・美味しい・ブランド」が根強く、少しでも日本酒に興味がある方でもメディアで知った「幻の酒信奉」にこだわる方ばかりでした。


自らの足で探した美味い酒だけを店に置いても「なぁぁんだ、白○(大手ブランド)ないのぉ」とか「幻の○○は置いてない?」という客ばかり。「客はバカばっかりだ」と思っても不思議はありません。酒造蔵も吟醸酒を造っても低価格のお酒と抱き合わせでなければ売らないという蔵がたくさんありました。蔵にしてみると「材料が高くつき手間がかかる吟醸酒で元など取れない」という気持ちが強くあったのでしょう。


まっ、そんなわけで、各蔵では様々な取り組みが。


昭和47年岐阜の達磨正宗では古酒への取り組みが始まりました。あの辛口命の時代に甘いお酒を造ってその結果を20年後に求めるなど狂気の沙汰です。昭和58年愛知の義侠では歴史的な純米大吟醸を造り上げ、アル添大吟醸がほとんどで鑑評会もアル添酒しかなかった時代に、鑑評会を意識しない取り組みが始まりました。昭和55年新潟の久須美酒造では幻の酒米亀の尾の栽培に取り掛かりました。あの時代にすでに米から・・・という発想は偉大を通り越して酔狂としか思えません。昭和62年埼玉神亀では全量を純米に切り替える荒業に出ました。今ではちょっとした酒通であれば気軽に「純米でなければ」と言いますが、たった20年ちょっと前、日本中に純米酒だけを造っていた蔵はほとんどなかったのです。静岡県では昭和61年に静岡酵母で造られたお酒が全国新酒鑑評会に初めてだされ、21蔵が出品し、17蔵が入賞、内10蔵が金賞を受賞。全国的には無名であった静岡の地酒が、金賞の実に1割近くを占めるという快挙を成し遂げました(時代は流れ、今年の鑑評会では静岡から一軒も金賞がないという驚きの結果も)


私にとっても昭和50年代の後半は転機でした。初めて出会った菊姫大吟醸の衝撃。「お酒はすべて菊姫だけでそろえてもいい」と思うほどの素晴らしい出会いでした。ところがその当時にはそろそろ久保田万寿も現れ、出羽桜、梅錦・・・そして静岡県内のお酒に見るべきものがあると知り始めたのも昭和60年に入ってからです。「菊姫だけではもったいない。あんなに美味しくなかった日本酒がこんなに美味しくなっているなんて」と様々なお酒にのめり込み始めました。それ以降は日本酒の新たな夜明けの時代の中を生きている実感をタップリ味わい続けています。



さて、では昭和30-40年代に時代を引っ張った大手酒造メーカーはどうしたのか、大手は未だに大生産量を誇ってはいますが、美味しいとは程遠いお酒を造り続けています。CMで美味しさをうたうほど本当に美味しいと造っているご本人たちが思われているのか?中小規模の志の高い蔵のお酒と並べた時に本当に胸を張れるのか?自分たちの積み上げた技術を生産効率と経済効率ではなく単純に美味しさに向けているのか?様々な疑問を造られているご本人たちにお伺いしたい気持ちもあるのですが、私は個人的には大手メーカーの秘蔵酒に驚愕した経験があるだけに、本気で美味しさだけのために取り組んだ時の彼らの技術を侮ってはいません。現実に毎年の新酒鑑評会では大手のほとんどの蔵が金賞を連発しています。つまり造る技術は十分に持っているのです。今中小規模の蔵が出す¥2000-¥4000くらいの傑出した日本酒と同レベルのものを造る力は必ずもっている巨人たちに早く目覚めて欲しい・・・と思うと同時に、美味しい日本酒は多くの消費者が強く望まなければ現れないと言うことも忘れてはならないと思っています。今ビール会社が造る発泡酒の類は消費者が安さを求めたところ、政府の税金から逃れようとするところから生まれてきたもので、決して美味しさを求める消費者のために生まれたものではありません。よく大手ビールメーカーの営業さんに「値段のことは置いておいてもホンとに美味しいビールを造ってよ。なら使うから」と再三訴え続けてきました。消費動向が上向きで景気がよくなりそうになると、季節ごとに変わる美味しいヨーロッパ系の生ビールがでて喜んでいると、売れなければ即中止。大手はたくさん売れないものは造りません。志で動く巨人ではないのです。それなら消費者が「こんなんじゃいやだ。でもちゃんと美味しければ飲むよ」と言い続けるしかないのではないかと半分虚しさを覚えつつ思うのです。


歴史を知らずに今の価値観で過去を批判し、現状を嘆くことは簡単です。しかしながら、日本酒は戦争の荒廃から劇的な経済成長、量から質の時代、デフレの時代と時代の流れに添うように進展してきました。時代時代の空気を知っていれば批判が正当なものであるかどうか。。。的外れであることも多々あることを学ぶべきだと思います。時代を共に生きてきた私たちの世代は、その空気感も若い世代に伝え、さらに美味しい日本酒が世の中に溢れることを願ってやみません。


ここまで日本酒が美味しくなったのは世紀始まって以来初めてのことです。今日本酒を楽しまなくていつ??という思いはいつもあります。日本酒とワイン、これらは世界中でもっとも優れた食中酒であるのですから。


今週五回にわたって書いてきた日本酒の歴史(昭和編)は一応ここまで。このまま調子に乗って以前に反応が大きかった「日本酒の誤解シリーズ」も再掲載するかも・・・です。ご期待を。