日本酒の歴史〜暮らしに根付いた


昭和40年代くらいからの日本酒の味は、私の記憶の中にあるのですが、それ以前の日本酒がどんなものであったのかは見当がつきません。特に戦前の日本酒。もちろん、製法や酒米酵母についての記録は残っているものの、味わいをきめ細かく記述したものは見たことがありません。大きな戦争の前、日本酒は米と米麹だけで造られる純米だけでした。純米信奉なんぞにこだわらなくても純米しかありませんでした。といっても、間違いなく言えることは、今巷で飲める純米酒のように繊細で美味しい酒ではなかったはずで、もっと荒っぽい雑なものであったようです。さらに、戦争以前の日本酒は量り売り、原酒で仕入れた樽を加水するのは酒販店で、お酒の濃い薄いも酒屋任せであったとも聞きます。本醸造でさえ認めない純米信奉者は時に、「戦前のように造れば美味しいお酒になるはず」と言うことがありますが、これは「昔のトマトは美味しかった」というのと同列の間違ったノスタルジックな誤解です。


さて、昨日の続きです。


基本的な土壌のお話からまず。昨日も言ったように、昭和50年代以前、食が文化として庶民にまで行き渡る以前、戦後の混乱から高度成長、戦前さらには明治大正、江戸期、お酒の楽しみは美味しさを求めるよりも、酔うことの楽しさであったように思います。有史以前から人間にとってアルコールは欠かせない存在であり続けました。今の日本人が文化の爛熟期を向かえ、娯楽の形態は昔の感覚では考えられないほど多様化していますが、例えば、江戸時代の武士の日常生活を綴った文章に触れると、この人はアル中ではないか?と思うほど、毎日浴びるようにお酒を飲んでいた例を読んだことがあります。これは特定個人のお話と言うよりは、全般に言えたようで飲酒は数少ない日常の楽しみ、娯楽の一つであったのです。明治以降の庶民を眺めても、ハレの日の食事と飲酒は大きな楽しみでした。お酒は人間にとってなくてはならにものであったのです。


先日、若いスタッフと話しているとき、彼女が「戦争中のような非常時にお酒を造ったり飲んだりすること自体が不謹慎と思われるかと思っていました」といいました。


「非常時だからお酒を造ることも飲むことも禁止っていうのって、今の若者から携帯とカラオケとゲームとプリクラ(?)を全部禁止するのと同じくらいありえないことなんだよね」と私。



飲酒の楽しみと言っても、それは美味しさを追求するものではありません。より美味しいもの・・・と求めるのは、経済が豊かになり生活にゆとりができて初めて生まれる心持です。食が文化として熟成し美味しさを追及でき始めたのは、日本人の歴史の中でほんの30−40年のこと、それまでの何万年は食は生きるためのもの、腹を満たすもので、日本酒は酔うためのものであったことを忘れてはいけません。戦後の貧しい時代をかろうじて肌で知っている私にとって、豊かさを享受する今の時代は特別な時代であると同時につい最近やっとたどり着いたごく短いエポックであることを常に念頭にいれておきたいと思うのです。


もうひとつ、明治以降国民にとって欠かせない日本酒は当然のように政府の財源の一つ、税金の対象であり、さまざまな規制を伴うものでした。正確な数字までは覚えていないのですが、主だった産業がまだ育っていなかった日本では、酒税の割合は税金全体の3割以上であったそうで、「日清日露は酒税で賄った」と言われたほど大切なものでした。別の側面から考えればそれだけの税金が取れるほどお酒は日本人に飲まれていたと言えるかもしれませんね。


と、まだ歴史本体のお話は明日以降。