もの申すとき


映画「はじまりのみち」のことを書いた時に、木下恵介映画の常連であった高峰秀子のことをwikiで眺めていました。


高峰の映画を観たのは十数本、著作は「わたしの渡世日記」を読んだ程度、関連で斉藤明美の著作もかじる程度の知識しかなく、映画「東京オリンピック」擁護事件での行動を今になって初めて知っていたく感動しました。


wikiの引用ですのでそれを踏まえてお読みいただきたいのではありますが、顛末はこんな風





1965年(昭和40年)、市川崑に撮影が依頼された映画『東京オリンピック』が、完成前の試写会で河野一郎(オリンピック担当国務大臣)が内容に疑問を投げるコメントを発したことをきっかけに大論争が巻き起こった際、「とってもキレイで楽しい映画だった。(文句をつけた河野は)頼んでおいてからひどい話じゃありませんか」「市川作品はオリンピックの汚点だなとと乱暴なことばをはくなんて、少なくとも国務相と名の付く人物のすることではない」と擁護コメントを雑誌や新聞に寄せた。


高峰は直接河野に面会を求め、その席で高峰は市川と映画のすばらしさを訴えるとともに、河野が市川と面談するように依頼した。河野は談笑を交えて、「実は映画のことは少しもわからんのだ」と高峰に答えた。その後河野は高峰のとりもちで市川と面談を重ねた結果、制作スタッフの努力を認め、最終的に「できあがりに百パーセント満足したわけではないが、自由にやらせてやれ」と映画のプロデューサーに電話して矛を収めた[5]。海外版の編集権などは市川に戻った。今日でもDVDなどで親しまれている名作を、第三者である高峰が体を張って守った形となり、市川は後年の対談でもこの件を深く感謝。高峰の義侠心や友情に厚い性格、一本気な面をあらわすエピソードとなっている。


高峰は雑誌での河野との直接対談でも「永田雅一が友人だからあまり悪くは言えないが」と当時の映画の斜陽化と監督の力量を嘆く河野に対し「それは永田さん(経営者)の問題です。監督は所詮勤め人なんですから『これこれこういうものを作れ』と言われたらそういう物しか作れません」と直言するなど、河野に「高峰秀子と言う女は只者ではない。男に生まれていたら天下を取ったに違いない」と言われた[要出典]。







1960年代のお話とはいえ、人を批判、批評するときの態度、腹のくくり方のお手本は今も変わらずこの姿勢にあると思うのです。つまり、有名人であろうが一国の大臣であろうが、批判するときは相手を実際に目の前にしても同じ言葉を吐ける気構えとないようでなければならないのですね。高峰の場合の峻烈さと、そこまで到達できる人間関係の築き方は常人のものではないわけですが、それでもその心意気には大いに学ぶものがあります。


同じ「はじまりのみち」の論評も、自分が書いた以上ほかの方のお話も目に入るわけで、中には私から見れば「この名作をそんなにつまらない視点で批判できるのか?」と思うようなものもあります。「あんた、そういう批評をを原恵一監督を目の前にして堂々としゃべることが出来るのか?」120%無理でしょう。匿名批評の稚拙さがそこにもあります。


松尾貴史さんが「twitter上で批判があったとき、”それじゃぁ直接お話をお伺いするのでどこかであいましょうか?”というと全員が黙ってしまうんです」と語っていました。


netの世界が広がり、ブログからSNSへと公に発言できる場が飛躍的に増えた今、匿名故の破廉恥はますます増えるばかりです。つい最近のメディアもお盛んな安藤美姫騒ぎの愚劣さも根っこは同様です。「同じ言葉を本人を目の前にして言うだけの了見を持っているのか?」


最近よく書いていた、食べログレビュー amazonレビューも同様です。匿名性に隠れて、レストラン、著者本人が見ていても平気です。顔を出して本人と論争できるだけの根性を据えて語っているのか?99.9%の発言にその気概も内容の充実度も存在しません。


私自身は、この板前日記を中心に言いたいことを言っていますが、痛い経験をたっぷり経て「本人が発言を読んでいる」ことを前提にすべての記事を書いているつもりです。店を背負って言葉を公に発するためには最低限必要な資質であるはずなんですね。その態度を変えずに、net上で匿名に走ることがなかったことが今にして思えば真っ当であったと確信するのです。