愚痴やらぼやきやら


世の中に「つけパスタ」というのがあるのだそうです。


できれば私の聞き間違いもしくは夢であってほしい。


もり蕎麦があるならつけ麺(ラーメン)があってもいいじゃぁないか。つけ麺があるならつけパスタがあってもいいじゃぁないか・・・ってことなんでしょうね。


つけ麺は35年前にすでに東京にはあったことを覚えています。いまではすっかり定着しているのだそうですが、食べたことのない私には温かい麺(?)と汁を分けて何か意味があるのだろうか?と不思議です。まっ、そこンところはラーメン自体が日本独自の食文化となっている今では許されもしましょう。


しかしながら、パスタをソースに浸して食べる意味があるンでありましょうか?作った方は正統に美味しいパスタを食べたことがあるンでありましょうか?イタリアの食文化への尊敬の気持ちがあるンでありましょうか?イタリア人にも胸を張って「どう?美味しいでしょ、私のつけパスタ!」と言い切れるんでありましょうか?


どこかの地方都市のお遊びな一品としてこっそり笑いねたとして存在するならよろしいのですが、全国放送の朝の番組で取り上げられて「今人気の」とか言われると、「あわわわわ、やめてぇぇ。日本人の民度が疑われるぅぅ」と恥じ入る私なのであります。


振り返ってみたらすでに四半世紀以上、ナポリタンも、和風たらこなんとかパスタも口にしたことがありません。だって、ちゃんとしたレシピで作ったパスタが美味しいンだもん。





東京で生活している子供たちといっしょにそろっての食事をするための店選びで、情報を集めのためにいくつの店のことをサイトで調べていました。


で、
気がついたのが、小さな個人店ですと自社サイトよりも上位に「食べログ」の記事が存在するケースが多いと言うことです。


私がもっとも当てにしていない食情報は「TVでお薦めのあの店」と「食べログ」の記事です。できれば私の目の中に入ってほしくない戯言といってもいいでしょう(あくまで個人的意見です)


おそらく、料理人の99%は「食べログ」書かれた自分の料理の批評やアップされた携帯の醜悪な写真を快く思っていないはずです。多くの絶賛の言葉に彩られた「口コミ」が連なっていても、10件以上の口コミがあれば必ずといっていいほど否定的な言葉、痛い星の数が含まれています。


曰く、
「評判ほどのことはない」
「この程度なら地元にもっといい店がある」
「CP(コストパフォーマンス)が悪すぎる」
「サービススタッフの感じが悪い」


10件のほめ言葉があっても一件のこの手の口コミがあるだけで、料理人はふかぁぁく深く落ち込み、この手のサイトを見る気持ちも失せ、いい言葉も悪い言葉もすべての口コミ情報の書き手を同じ穴の狢と思うのです。きっと書いている方々は多くの情報の中の埋没するほどのたった一言くらいに思っているのかもしれませんが、料理人は決してそれを忘れません。快く思わない客に美味しいものを作ろうと思うわけがありません。(匿名だからと思うでしょうが、結構特定できてしまうのです)


そういう批評の集まりと意味のない星印が、自分で作った自分の料理店の紹介サイトよりも先に検索上位に現れているのです。ほんの少し前まではこれほどではありませんでした。



たとえば、病院の住所を探そうとおもって検索したら、医者の評判(患者の評価)が病院そのもののサイトよりも先に現れたらいかがでしょう?


タクシーを呼ぼうと電話番号を検索したら、タクシー会社のランキングと運転手さんの評判が会社のサイトよりも上位にでてくるとしたらどうでしょう?


「ランキング」「安易な批評を公にすること」「CP(コストパフォーマンス)」というのは日本のレストラン文化の病であると私などは思うのでありますよ。病には近づかないのが一番。病も近づかないでね、お願いだから。