自由な気風
先日、大学時代の音楽サークルの先輩後輩が店に寄ってくれました。久しぶりに学生時代の話に花が咲き、当時のことがまざまざと思い浮かびました。
で、改めて思い返したこと。
先日、中学高校生の部活のレベルはほぼ教師の実力によって左右されると書きました。
全く個人的な体験ですので一般化できるかどうかはわかりませんが、中学高校で顧問教師の実力が発揮されたのに比べ、こと大学に入ってからは顧問教師のトレーナー 監督、いわば指導教諭の影響力は100%なくなりました。というか、指導教諭自体が存在しなくなり、学生達の自主性によってのみ部活動が運営される部活動に恵まれました。(スポーツでは全く違うのでしょうが)大学生の音楽活動などというものはほぼそんな感じなんでしょうが、私が所属したバンドは、すべてが学生の自主的な運営され、そんな中全国でも高いレベルを常に維持していました。なのに全員がそろう練習は週三回 2-3時間のみ。上級生が下級生を特別指導するわけでもなく、楽器を上手くなるための練習はほぼ個人任せでありました。
当然のように体罰などあろうはずもなく、レギュラーメンバーになれるかどうかは年功序列は当たり前のように関係なく、実力だけの世界でした。レギュラーに抜擢するかどうかもメンバーが決めていたのです。
上手いか下手か。実力だけがものをいう場所では、実力でのし上がるために皆が必死で練習します。上からしごかれて上達するのではありません。
これも当然のように「おまえらたるんでる!」みたいな上級生からの説教など一言も聞いたことがありませんし、先輩レギュラーメンバーへの憧れは激しくあっても、「絶対仕返しされない暴力による指導」が上級生からあったことは皆無でした。
その居心地のなんとよかったことか。
スポーツライターの相沢光一さんの文章にこんなのがありました。やっぱり目を海外に向ければ、音楽だけでなく、スポーツの世界でも同様のことがすでに高校生からあるってことなんですね。
さて、日本にそんな土壌がはぐくまれることはあるんでしょうか?少なくとも私は大学時代にその恩恵にあずかることができて幸せでした。