学生の指導


体罰問題で中高生の指導法のお話で世の中賑わっています。


小学生から大学まで、学生の間はすべて音楽に関わってきましたので、体育会系の指導方法のお話しには全く口を挟むことなどできないのですが、こと音楽(吹奏楽 合唱など)についていえば、小学校から高校までの部活動での音楽レベルは99%指導者の力によるといって間違いありません。


その学校が上手いか下手かは指導者の能力いかんによるのです。野球やサッカーのように超学生級が現れてチームを引っ張るということは音楽ではありえません。ドングリの背比べの10代の力を引き出しまとめ上げることができるのは部長ではなくて顧問の教師の力だけなのです。


怒鳴って脅かし、恐怖で学生に緊張感を与えて上達させようという映像などをTVで見ると、すでに教師よりも年上になってしまった私から見ると「この子ができないのはあんたの教え方が悪いんだよ」「コンクールで入賞できなかったのは指導力不足がほとんどの原因じゃん」とうそぶいてしまうのです。


専門的にいえば「そのフレーズでつまずくのを怒る前に、つまずく原因のリップスラーの指導の仕方がわかってないあんたが悪い」とか「その音色に不満があって怒る前により高度な音色を出しているCDでも聴かせて理解させたらどう?」と具体的にいらいらさえしてしまいます。


音楽に関していえば若者ができないことを、怒ることの恐怖の緊張感で達成させようとするのは間違いです。できないことをできるようにするためのノウハウを伝え、理想的な音楽を奏でるための指標を与えるのが指導者であるべきなのは自明の理です。


運動で体を動かすことが気持ちいいことであると私が知ったのは、社会人になってからでした。9番レフトの運動音痴だって運動を楽しめるんだと教えてくれたのは、お金を払って指導してもらったスポーツジムのインストラクターでした。


音楽が楽しいと理解できたのは、指導者から解き放たれた大学生になってからでした。んで、それからのほうがずっと上達しました。


もっとも親からも教師からも体罰を受けたことさえない私がいうことですから、筋は違っているかもしれないんですけどね。