ド宴会には歌がつきもの


ド宴会には歌がつきものでした。


若い方は想像しにくいでしょうが、私たちのような料理屋でも昔は酔えば歌がでたものです。芸者衆が入る(昭和40年代くらいまでは当たり前のように芸者衆も宴会にはつきものでした。コンパニオンなんて影も形もない頃です)本当に粋筋のお客様は、小唄 端唄 都々逸の節が回され、私の祖父など得意のかっぽれを踊る・・・なんていう楽しみもあったのです。三世代前の旦那衆はそういう芸者遊びで楽しんだものなのですが、粋なお遊びの心得がなければ、流行歌くらいなら芸者衆は簡単に三味線で節をつけられました。


そういうお遊びが劇的に消滅してしまったのはカラオケが現れてからです。なれない芸者遊びよりもカラオケの人気が遙かに上回ってしまい、芸者衆までがカラオケで歌うようにお客に水を向けるようになりました。昭和50年代からであったでしょうか、スナックやクラブで人気になったカラオケが料理店でも求められる時代がやってきました。今ではそれなりの料理店にカラオケなんて考えられないでしょうが、当時は忘年会シーズンとも成れば「カラオケの有無」が宴会場選びの重要なファクターであったのです。現代のようにカラオケ店がなかった時代には、料理店や飲み屋さんがカラオケを歌う場でありました。カラオケ嫌いの私なんぞには飲み散らかし食べ散らかすこと以上に、料理店の宴会でカラオケが要求されることはとても辛いことでした。


それらを考えると、今料理店で純粋に料理とお酒を楽しんでくださるお客様が圧倒的多数になったことは奇跡のようにありがたいことなのです。料理屋では料理とお酒を楽しむ。この当たり前のように思えることにたどり着くまでには長い時間が必要であったのです。


そうそう、カラオケが存在しなかった時代、昭和20年代から40年代、粋なお遊びの心得がなかった大多数が歌ったもの、それは軍歌でした。私の幼い頃の子守歌は階下のお座敷でがなり立てられる「ここはお国の何百里・・・」「勝ってくるぞと勇ましく」の大合唱であったこと。そんな事実もすでに忘れられた事柄でしょうね。(もちろん伴奏なしね)