離職率


つい先日、メディアでは新卒若者の離職率の高さが報じられていました。


特にサービス業では一年以内の離職率が50%を越えたのだとか。大手居酒屋チェーン店に正社員で入社した若者のインタビューでは、長時間労働昼夜逆転の労働環境、当初の説明とは違うアルバイトと変わらない仕事、将来性の見えない職場などなど、飲食業態では想像できそうな戸惑いがたくさん挙げられていました。


とはいえ、これは大学新卒のお話。もともと飲食の業界に大学新卒者が当たり前に入ってくる世の中なんぞ昔は想像もできませんでした。いつの頃からであったのか特定はできませんが、飲食が産業として成り立つようになってからの、たぶん昭和も末期に入ってからのお話です。それ以前を考えれば、飲食業界の離職率の高さは周知の事実でした。


私が修行に入った昭和50年代、調理場は常に板前が15人以上はいる比較的大きな職場であったのですが、一年に調理場に入ってくる若者は20人以上、出て行くものも20人以上は必ずいました。最初に私同様見習いで入った初年度の7人の内3年目で残ったのは2人でした。あるものは半年で、早ければ一週間 三日でやめてしまっても不思議ではない環境が板前見習の世界であったのです。ある場合には休憩にでかけてそのままいなくなちゃったヤツ。夜、逃げちゃったヤツなんてのも。「企業の離職率」なんていう格好のいい言葉ではいえない地を這うような状況がそこにはあったのです。といっても、私のような軟弱ものがやっていけたのですから、想像を絶する厳しい環境と言うほどでもなかったと思うのですが。。。。



一方、その当時の実家「弁いち」では、入ってくる若者が三年以内に辞めてしまうことはまれでした。ほとんど若者が親や紹介者といっしょに店を訪れ、住み込みで奉公するのが当たり前で、一年や二年で辛抱ができなくなるようでは、親や紹介者に顔向けできない風土がありました。


世間があきらかに変わったのは平成に入ってからであったでしょうか。平成以降の見習いで三年以上勤め上げた若者は、簡単に指で数えられるほど希少な存在になりました。最初に1年目で辞めてしまった若者に私が出会った時、紹介をしてくれた調理師学校の先生に「私の力不足で・・・」と長文の手紙を書いたことをよく憶えています。しかしながら、実際には当時でも調理師学校から斡旋された見習達の離職率は七割以上であったそうで、私などの手紙は前時代遺物であったそうです。それ以降、一年以内に辞めてしまうのは当たり前がずっと続きました。


私が2年前のリニューアルの時に、若者を育てることをやめようと決心したのはある意味では遅すぎた選択であったのかもしれません。