「ゴーストライター」〜「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」


先々週劇場で観た「ゴーストライター」は巨匠ロマン・ポランスキー監督のサスペンス映画です。


全体をつつむ重く沈んだ映像のトーンが素晴らしい。全員が役ぴったりはまった役者はさらに素晴らしい。最後まで結末が見えないストーリー展開も含めた脚本はさらにさらに素晴らしい。 


世の中、特に政治には、人が妄想するほど綿密な陰謀はないのだ。。。というのが、近頃たどり着いた私の心持ちなのですが、こういう映画を観ると陰謀論がいかにワクワクドキドキさせるか、んでもって民衆はそれがどれだけ好きかがわかります。




先週末観たのは「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い


まず題名が憶えられない。「ものすごく。。。の後なんだっけ?」とこの映画のことをしゃべるたびに立ち止まります。


9.11で最愛の父を亡くした少年が、父のクローゼットで見つけたある鍵の正体を探し始めます。その正体をつかむことで、父を失った喪失感を埋めることができるのではないかと、周りを巻き込みながら膨大な人々に会って手がかりをみつけようとするのです。


ストーリーの説得力はなるほどしっかりと受け止めることができるのですが、突然なくなった肉親への思いや、断ち切られた絆を確認するためにあがく姿は、私にはとても西欧的(キリスト教のバックグラウンドか?)で心にささくれ立ったものさえ感じてしまいます。死者への思いを自分自身だけで受け止めもがくのではなくて、常に周りの人間を傷つけ、巻き込まずにはいられない心証、罪の意識を自分だけで乗り越えるのではなくて、人にも同じ罪を認識させようとする姿は、小説「サラの鍵」でも感じたように、日本人のメンタリティーでは理解できません。ちょうど今、山本周五郎の「長い坂」を読んでいます。一時期「できうれば三浦主水正のように生きてみた」と思ったほど、自身の人生を誰にも引き受けさせず耐えつつ背負っていく姿に共感できるのですから、件の映画の主人公に心を寄せることは全くできないのです。


映画としてはそれなりによくできているんですけどねぇ、極私的に居心地の悪い映画でもありました。