新年


遅ればせながら
新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。



さて、
「弁いち」は今日から始動し始めました。元旦から三日間の休みは、人生でもっともだらだらできた三日間でした。


もともとが貧乏性ですから、三日も四日も休みがあると、なにかしなくてはならないことを三つや四つは用意して、結局何一つ仕上げられない自分に新年早々がっかりするっていうのが通常でした。今年は最初から何もしないと決めたわけでもないのに、だらだらしていた・・・というか、私にすれば、「だらだらすることができた」「自堕落ともいえないほどぼーーーとできた」というのは画期的でした(なんか変ですが実感です)


大概正月休みであれば、映画館に二回はでかけ、DVDの4-5本、年末年始の録画番組(映画ほかたくさん)をやっつけ、手応えのある本を読むことを目標にし、できれば本棚CD棚の片付けをし・・・・とあれこれじたばたして、日頃できないでやりためたことを片付けることにあくせくするのです。


ところが、今年は映画館には一回も出かけず、DVDも観ず(録画番組は観たけど)、片付けは当然せず、ひたすらベットかソファに寝っ転がって本(手応えには関係ない手元にあるヤツ)を読んでいました。


読んでいたのは
「緋色の記憶」トマス・H・クック
「裸のフクシマ」たくきよしみつ
「使い分けるパソコン術」たくきよしみつ
「四雁川流景」玄侑 宗久


だけ、っていっても三日で四冊読めるのは普段ではありえないたっぷりとした読書時間でありました。


日頃の生活は、常に目の前の予約と明日以降の予約ほか様々な予定をひたすらクリアしていくために追われ続けているわけで、師走を何とかのりきり、無事年を越せた安堵感を考えれば、今年の正月の過ごし方が一番真っ当でなのだと思います。


一年に二回くらいは、明日の予約のことも、次の献立のことも、予約帖の埋まり具合にハラハラすることもない、こういう時間が必要なんでしょうね。


今日、正月の板前日記を数年分読み返してみて、突っ走っている自分、逆に言えばゆとりなくあくせくしている自分が見えました。昨年一年は様々な意味で世の中をしっかり見つめるいい機会でしたし、net上の問題でも自分を振り返えらなくてはならない問題がたくさん発生しました。板前日記の更新をたびたびお休みしたのも心の中の葛藤を整理するための時間でもあったのです。正月のだらだら休みはそれらに見切りをつけるいい時間であったのかもしれません。


さて、今年一年はどんな年になるんでしょ。twitter facebook instagram 板前日記、どこにどう折り合いをつけていくモンなのか、試行錯誤を繰り返してすこしでも道筋ができるといいな。