家族話〜家庭料理

つい先日、よせばいいのにふと思い立って向田邦子さんの「眠る杯」を読み返していました。山本夏彦氏が向田邦子さんを評して「突然あらわれてほとんど名人である」(この言い回しは本当に絶妙)ですべてあらわしているように、いつ読んでも何度読んでも打ちのめされるほど素敵な随筆なんであります。プロの中のプロと比べるのもどうかと思いつつ、本当に自分が日記らしきものを公開していることが犯罪のように思えてなりません。


しかしながら、多くの随筆がそうであるように、話題にさらされている家族はどんな心持ちであったであろうと思うと、それも辛いものがあります。小説でさえ、書かれている内容が実際に作者の身近であったことであると思われがちな、私小説文化を生んだ日本の特質を思うと、随筆であれば、それらのリアリティはさらに増します。


愛情を秘めつつ書かれるお父様の逸話の数々も、実際近親の方にとっては「この書き方はないだろう」と思っても不思議ではないのです。


実際、自分にふりかかる卑近問題でも「あの日の日記 私のことなんじゃないの?」と問われたことが何度かあります。悪い話題の場合、それらがご本人であることはありえないわけで、本人が読んで自分とわかるような否定的なお話は書いていません(アクセス数が10-30人程度の大昔にはそんなことがなかったわけではないですが) あるとすれば「どっからでもかかってきなさい」と腹をくくっているはずです。


以前に読んだある女性(それなりに著名な方)の団塊の世代を皮肉った文章では、ご自身が同じ世代であることもあって、自分のまわりの友人達を痛烈な言葉で書き綴っていました。いやいやこれではこの本の出版後の著者の人間関係は大丈夫だろうか?と心配するほどでした。などと考えると、作家  ライターという職業の方々は家族友人とのつきあい方が難しいものではないだろうかとハラハラするのでありました。



というわけで、基本的に家族 身内話は書かないように心がけています。人間関係を壊してまで日記を晒すことはないのですから。


と言ってしまった口が渇かないうちなのに。。。。



毎日仕入れから帰還し、朝食のために自宅部分に戻る時間にはNHKでは「あさイチ」を放送中です。


本日の話題は主婦のご飯作りの悩み解決 現れたスーパー主婦の手法とお料理の数々は「あれぇ?このくらいの料理はいつも自宅で出てくるかも」という率直な感想。人のうちの毎日のご飯って未知であるケースが多くて、普段どんな食事をしているかを計り知るのは難しいことなのですが、こうやってみてみると私の日常的な食生活って充実してるのかも。つまり連れ合いってスーパー主婦??


ってな内容なら人間関係は壊さないか??(でも実際はストレートにいやがります)