地産地消

この時期の店の定番、京都上賀茂の賀茂茄子です。



この賀茂茄子が私にとって、地産地消にこだわらない象徴のような野菜です。


地産地消の地域食材を同じ地域で大切にするという精神的なバックボーンも十分に承知しているつもりですが、職人として長く仕事をしてきた自分の中の小さな歴史の中では、地産地消は振って沸いてきたようなお話にも思えます。


私の若い頃はまだまだ生産性を高めて大量消費を促すような時代でした。それは野菜でも当てはまり、農協主体で生産効率のいい野菜を大量に作り、流通にのせることが正しかったのです。流通革命という言葉があっても、今のように劇的な流通が実現できてはいませんでした。「こだわり」の野菜があったとしても、その「こだわり」はどうでもいいことい拘泥する意味での「こだわり」という概念しかなかった時代です。効率の高い儲かる野菜を日本全体で推し進めていました。そんな過程で、大根は青首しかなくなり、茄子も地域の特産固有種は姿を消していきました。


昭和50年代はじめのことです。


とはいえ、その当時私のような若造でも、「いいものを使いたい」「食材を突き詰めたい」という思いが芽生えるほどには時代は動き始めていました。


その前の時代では、地元の野菜を地元で使うのが当たり前で・・・というよりもそれしか手に入りませんでした。地産地消はそれ以外に方法がなったのです。祖父や父の時代、冷凍技術はもちろん冷蔵庫も貧弱な(今の視点で見れば)ものだけでしたから、野菜はもちろんのこと、お弁当にいれる海老でさえ、地元でとれるもの、焼き物の魚もその日もしくは前日に地元であがったもの以外に使うことができませんでした。


全国どこでも同じような野菜が広がる中、若かった私が使いたかったいいモノの代表格が賀茂茄子でした。地元で手にはいる大き目の茄子なら米茄子。がんばっても越後か奈良の丸茄子がせいぜいで、丸茄子が使えるだけでも大きなハードルを越えたような気持ちでいるような頃、賀茂茄子は京都の高級料亭でしか使えないと知らされていました。情報がない時代ですからどこで売っているかもわからずに、旅行で出かけた錦市場の高名な八百屋さんで手にいれ、なんとかこちらまで送れないかと算段はしたものの、田舎町のポッと現れた料理人に潤沢に送ってくださるわけもなく、送料もべらぼうでとても採算ベースにのせて使うことはできずにあきらめざるを得なかったのです。


そういう賀茂茄子への憧れと、悔しい思いが、この10年くらいで入手が可能になって、職人としてもひとつ階段をあがれたような気持ちにさせてくれたという流れがありました。


流通と情報が劇的に豊かになり、ちょっとした努力で全国から優れた食材が手に入るようになったのは、私の感覚ではつい最近のこと。職人にとってこんないい時代がやっとやってきたのです。地元の食材はもちろん大事ですが、できうれば、一番いい食材を求めることが私にとっては最上の選択肢と思いたいのです。地産地消はその後からやってきます。使うに値する地元食材が現れれば。