メディアの論調と当事者の言葉


メディアが鬼の首をとったかのようにひと並びになって誰かを攻撃する時、できれば発言した本人の言葉を聞いてみると意外な真実が見えることはよくあります。


少し前、「沖縄はゆすりの名人」発言で更迭されたアメリカの外交官ケビン・メア氏とイージス艦「あたご」と漁船の衝突事故で起訴されていた自衛官がTV番組「たかじんのそこまで言って委員会」に出演していました。


メア氏といえば、日本に対してかなり偏った攻撃的な発言を繰り返した外交官のイメージがメディアによって植え付けられていたのに、番組に現れたメア氏本人の人となりは、ひな壇出演者の誰よりも理路整然と人を説得する力を持った(日本語で)知的な論客でした。発言の真偽、番組の自体の色調はさておいても、メア氏の印象はメディアで書きたてられたものとはずいぶんと違うことに驚きました。


もう一人、イージス艦「あたご」の航海長後瀉桂太郎氏の印象も180度違います。事件の頃、メディアでは「あたご」の120%過失を言いたて、自衛艦の傍若無人と、か弱い被害者としての民間漁船であったのに、メディア的には加害者であるはずの航海長後瀉桂太郎氏の話はその論調とはかけ離れていて、あの事故がイージス艦側の過失だけではないことに、私の印象は動きました。


さらに、大手メディアやブログ、twitterなどで批判の対象となりがちな、たとえばホリエモン上杉隆氏、池田信夫氏など私の目に付く方々は、ご本人の書いたものを読むと、批判の矛先自体が偏っていることを感じますし、特に彼らの語り口を聞くと、批判がずいぶんと捻じ曲げられていることに気づきます。何より本人の口から出てくる言葉は重いのです。それに耳を傾けずしてメディアの批判だけを鵜呑みにすることはかなり危険です。


世論がいっせいにひとつの方向に向いたとき、そのときが一番危ないはず。