上から臨んではいけない


今日は節分。もう私の代になってからでも、20年も続けて豆まきをさせていただいているお宮さんがあります。縁起物ですからありがたく承り、休むことなく出ています。


豆まきをするほうは全員裃を着て、神事にのっとって神さまに御奉仕し、記念写真を撮って、高い台の上に乗っていっせいに豆をまきます。TVの歳時記ニュースで芸能人や関取が有名神社でやる「アレ」です。こちらに集まるのは市長や国会議員、県会議員、市会議員、企業の社長さん達で、私などのように職人の端くれでも、お宮さんと親子三代のお付き合いがあったりするとお声をかけていただく訳です。つまり、普段は店のお客様としてご来店してくださるような方々、自分が同じクラスの成功者(世間的な意味合いで)では決してありません。


しかしながら、こういう方々の末席にいて、ちょっと大仰に裃を着て、増してや高い処からまるで施すかのように豆やら、餅やら、お菓子やらを投げていると、自分が成功者になったかのような錯覚に陥ったことが若い頃にありました。


戦国武将が高い処から自分の領地を眺めたり、領主が下々をやぐらから見晴らす。共産国家のパレードで独裁者達が壇上から睥睨する。ちょっと違う視点で見ても、選挙運動でカリスマ性のある政治家が選挙カーの上から演説で民衆を熱狂させる。また、自分を振り返っても音楽で何千人かのスタンディング・オベイションを受ける。


みんなある意味高い処から見下ろす魔力のようなものがあるような気がします。


実際、自分の力量で下に見る人々を手中にしているのなら凄いのですが、上から大勢を見るだけでも錯覚に陥る怖さがあるのですね。


そこで、ブルブルブル、いやいや、私はただの職人じゃん。何を勘違いしているんだ・・・なぁぁんて、しょうもない妄想を打ちふるったことがむかぁぁしありました。アホみたいでしょ。