ハンク翁逝く


もう永遠に演奏し続けてくれるのではないかと思うほど、90歳を超えても元気に現役だったジャズ・ピアニスト ハンク・ジョーンズ翁が亡くなったというお話がtwitter上で一気に広がりました。


いまだにこれほど人気があるのかぁ・・・と思うほど、昨日ジャズの行く末を悲観した私には皆さんに広がる悲しみが深いのにある意味驚きました。



何しろチャーリー・パーカーとも演奏しているモダンジャズの生き字引です。



ハンク・ジョーンズを知ったのは40年前ジャズを聴き始めて間もなくの頃、名盤のサイドメンとしてピアノを弾く比較的地味なピアニストとしての認識でした。たとえば、マイスル・デイビスキャノンボール・アダレイ"Somthin' Else"で、あるいはポール・チャンバースの”Bass On Top”で。あっさりしたピアノを弾く、むしろエルビン・ジョーンズのお兄さん、サド・ジョーンズのお兄さんでセンスのいいピアニストであると思っていました。


ハンク翁の認識が変ったのは、鯉沼利成さんが興したイースト・ウィンドというレーベルで作られた「ハンキー・パンキー」という1975年のアルバムでした。アメリカではベテランとして尊敬されつつも、リーダーアルバムをもう10年も作っていなかったハンク翁にスポットを当てて、名手ロン・カーター グラディー・テイトのベースとドラムスでステキにグルーブするアルバムを発表したのでした。とはいっても、これはそれほど人気の出たLPではありませんでした。


イースト・ウィンドレーベルはそれから一年ほどして、日本のアルト・サックスの・・・というか、日本ジャズのトップ渡辺貞夫さんをリーダーにアメリカの凄腕をバックに”I'm Old Fashoned”を発表しました。ベースにロン・カーター ドラムスにアンソニー・ウィリアムスというマイルス黄金期のリズム隊、ピアニストにはハンク・ジョーンズという絶妙の配置で、このアルバムはフォービートを愛する日本のジャズファンの心を鷲掴みにしました。実はバックのトリオは一年前の「ハンキー・パンキー」のドラムスがアンソニーに変っただけだったのですが、ロン&アンソニーの組み合わせは当時世界で無二、信じられないようなぶっ飛んだドライブ感を表現できる組み合わせであったのです。そこに加わるピアニストがハンコックやチック・コリアではなくてハンク・ジョーンズであったことが鯉沼さんと名ディレクターの伊藤潔さんのつぼにはまったさじ加減ででした。貞夫さん曰く「彼らのリズムって羽が生えて遠くへ飛んでいってしまうような凄さがあるんだよねぇ」と。


実際にはこのトリオは録音より少し前にアンソニー・ウィリアムスの呼びかけでヴィレッジ・ヴァンガードに一週間のセットで出演していて下地はできていたのですね。


ともかく、日本のジャズ史上画期的なこのアルバムの成功が、続くGreat Jazz Trio(ハンク・ジョーンズロン・カーター〜アンソニー・ウィリアムス)を生み出し、その後ベースとドラムスは変更があってもハンク・ジョーンズに今をときめくベースとドラムスが組み合わされるGreat Jazz Trioが結成されたのです。


ハンク翁の日本での成功と人気はこの1976年からのGreat Jazz Trioがなければ成立しませんでした。長く続いたこのセットでの演奏は、実はアメリカではほとんど紹介される事がなかったそうで、日本のレーベルの日本の企画であったのです。当時のアメリカ ダウン・ビート誌の編集長は「これだけ素晴らしい企画がアメリカに紹介されていないのは惜しい」と言ったとか。


日本でのハンク翁の演奏旅行とCMなどでのメディアの露出が増える中、jazz界の人気は高まるわけですが、なんといっても人気の原因は彼の演奏の質のよさもさることながら、その誠実でやさしい人柄によることがおおかったはずです。今回twitter上で語られるハンク翁の様々な逸話を聞くにつけ、彼のバック・ステージでのことを悪くいう人が全くいません。むしろその人格を褒め称える人がいかに多かったか。ファンや仕事上のパートナーを大切にしてきたハンク翁であったからこそ日本での信頼と人気が確立したのですね。


そういうハンク翁の人柄がワンコーラスで表現されていると私が思うのは、弟のサド・ジョーンズが率いたサド・ジョーンズ〜メル・ルイスオーケストラのデビューアルバム。中でも”Mean What You Say”の出だしのハンク翁のソロは、ミディアムテンポのスウィングのお手本のような演奏。多弁でなくても自然に身体が横に動いてしまうようなグルーブの見本のような演奏で、彼の真骨頂だと思っています。


テクニックではなくて人間性が音楽を通じて人を感動させたハンク・ジョーンズという偉大なアーティストに改めて合掌。