映画「花のあと」


休日に映画「花のあと」を観てきました。


藤沢周平原作映画化は相変わらず人気です。「たそがれ清兵衛」「隠し剣 鬼の爪」「武士の一分」の山田洋二三作 黒土三男蝉しぐれ」 最近の「山桜」に続いて「花のあと」 調べてみたらそれ以前には藤沢作品の映画化はないようなのです。まさにブームといえるのでしょうね。


山田作品と黒土作品が日本映画としては出色のできだっただけに、「山桜」と今回の「花のあと」は物語としては納得できても映画の出来はところどころに喰い足りないところが目に付いてしまいます。


なんと言っても「たそがれ清兵衛」での宮沢りえ 「隠し剣 鬼の爪」での松たか子 「武士の一分」での檀れい 「蝉しぐれ」での木村佳乃という、映画の技術でその美しさがより引き立てられた、それらが代表作となった女優人に比べ、素材は素晴らしく主役であるにもかかわらず「もうちょっと、残念。ほんとはもっといいのに」と思えてしまう北川景子がいかにも惜しい。


さらには訓練はたっぷり重ねたであろう彼女の所作がやっぱり惜しい。


例で挙げるとたとえば茶道。お茶のお稽古の初心者は、次に行う動作を常に頭の中で考えてしまい、所作を間違えないことばかりが頭にこびりつくためにすべての動きがぎこちなくなるものです。師匠ともなればその動きに迷いがなく、あくまで滑らか、動きによどみがなく美しいものです。


映画の中で何度も出てくる障子の開け立て、お辞儀の動作だけをとっても、悲しいくらいに所作は身についたものではないのです。一生懸命やればやるほど一生懸命が見えてしまう。これは女優の訓練が足りない・・・というだけでなく、映像の撮り方ひとつでなんとでも表現できるものです。正面からぎこちない動作を撮らなくても女優を美しく撮る手法はあるはずなのです。女優北川景子を美しく見せるための映画であるならばもっとそのことに心を砕いて欲しかった。素材がステキなだけに本当に惜しい・・・。


それに比べ、甲本雅裕がおいしいところをごっそり持っていってしまったそんなことを思った映画でした。





いやいや実は映画本編よりも記憶に残ったのは予告編。日本映画の予告はすべて日本映画なんであります。数本の予告はすべて「お涙頂戴」


「奇跡の」・・・「不治の病」・・・「感動の」


見ていて腹が立つほどです。これらの全部が日本映画をだめにしているんだぁ。