オーネット・コールマン


昭和の時代には、ジャズ好きでなくてもオーネット・コールマンというミュージシャンの存在は世の中に認知されていました。


歴史的な名盤「ジャズの来るべきもの」が録音されてから半世紀が過ぎようとしています。先日のNHKFM「ジャズ・トゥナイト」はオーネット・コールマンの特集でした。


番組で流れた「ジャズの来るべきもの」を聴いたのは三十年ぶりです。フリー・ジャズの発端となったこのアルバムを今聴くと「フリー」のイメージなんぞほとんど感じないほどオーソドックスでストレート・アヘッドなジャズに聴こえます。1960年代に嵐のように吹き荒れたフリー・ジャズは音楽になじみのない人にとっては「ただのめちゃくちゃ」「聴きたくないほどの雑音」でした。日本では有名な山下洋輔さんのひじ打ちめちゃくちゃ(に聴こえる)ピアノももとはと言えばオーネット・コールマンのこのアルバムから始まったのです。当時の若者は「これこそが最先端である」とばかりにジャズ喫茶で頭をうなだれスピーカーに向かって瞑想するように「雑音」に耳を傾けました。


1960年代には年を追うごとに過激になっていったフリー・ジャズも発端となったアルバムはとても聴きやすく美しい音楽であったことを再認識してちょっとびっくりしています。


馴染みのない方に説明しようとすると、デビュー当時のビートルズの髪型マッシュルーム・カットが「長髪である」と世の中からヒンシュクをかったはずなのに、今の感覚でみると長髪でもなんでもない・・・といったのと同じ感覚。青江美奈の金髪は芸能人ならではあったのに今では一般人でも違和感もないのと同じ感覚。


オーネットの試みは、その時代の先端を行っていったはずのマイルス・デイビスでさえ「こんなのはジャズじゃぁない」と言わしめたのです。


あの時代、音楽でも文学でも演劇でも舞踏でも「難しいもの」「理解できないもの」を有難がる傾向というのは明らかにありました。「理解できないもの」を理解しているようなふりをすることがインテリで尊敬されるような時代の中、理解できないものの多くはただの独りよがり、ただの支離滅裂であったケースもたくさんあったのです。しかし、オーネット・コールマンの音楽を聴くと、彼の難しい音楽は時代がついていっけなかっただけで、長い時間を経て今聴くとなんと美しい音楽であった・・・やっと理解できます。


そういった時代の空気とか、時代の価値観は今説明しようと思ってもなかなか難しいのです。50年という歳月は人々の感覚を大きく変えていることを知った瞬間でした。