ボージョレー・ヌーボーが下す未来予想図


Twitter上で見た記事に、毎年のボージョレー・ヌーボーの評価についてのコメントがあって面白く読みました。


さっそく調べてみるとこんな記事も


記事はきっとそのうちリンクできなくなってしまいそうなので、毎年のコメントを書きだしてみるとこんな風になります。


95年「ここ数年で一番出来が良い」
96年「10年に1度の逸品」
97年「1976年以来の品質」
98年「10年に1度の当たり年」
99年「品質は昨年より良い」
00年「出来は上々で申し分の無い仕上がり」
01年「ここ10年で最高」
02年「過去10年で最高と言われた01年を上回る出来栄え」「1995年以来の出来」
03年「100年に1度の出来」「近年にない良い出来」
04年「香りが強く中々の出来栄え」
05年「ここ数年で最高」
06年「昨年同様良い出来栄え」
07年「柔らかく果実味が豊かで上質な味わい」
08年「豊かな果実味と程よい酸味が調和した味」



”「ダメ」どころか「まあまあ」さえない”という記事の内容は当然のこと、ボージョレのお祭りはそもそも販売促進から始まったわけで、自分たちのCMに「低評価を下すわけがない」のです。


まっ、そんなことはちょっとしたワイン好きには浸透している事実であるのですが、よく言われる「ボージョレ・ヌーボーはその年のワインの出来を占う」とまことしやかにメディアやワイン評論家たちがのたまうことのマユツバぶりがこの毎年のコメントを眺めるとよくわかります。


私には2000年以降のワインがどのような熟成を経てどんな風に仕上がるのかまだ見当もつきませんので、1990年代だけを眺めても、


95年「ここ数年で一番出来が良い」
96年「10年に1度の逸品」
97年「1976年以来の品質」
98年「10年に1度の当たり年」
99年「品質は昨年より良い」


全然ヴィンテージを占っていません。


96年というビック・ヴィンテージが98年が同じ「10年に一度」の記述でそのキャラクターの違いを全く表わしていませんし、97年というオフ・ヴィンテージが76年以来とな。重箱の隅をつつくようなあげつらいようなのは勘弁していただくとして、好意的に見てもこれらのコメントはあくまでボージョレ地区の出来のお話で、そのほかの熟成すべきワインについての予想には99%なっていないのであります。もっといえばものすっごく適当でいいかげん。私自身、毎年「ふーーん」と聞いていはいたものの、いざこうやって並べてみると評論家の経済予想や競馬予想くらいは当たっていないのに驚きます。


もっとも、ワインを買い付けるソムリエも、私たちのようなちょっとワイン好きも今年のボージョレのコメントに左右されてワインを買うことはほぼないというのも事実なのです。メディアで「今年を占う」といわれることだけが大げさなのですね。


その年のワインの出来は、その地区の雨や気温、日照時間などの気象条件に大きく作用され、「今年は?」という時には、それらを総合して判断されます。私などはソムリエさんや、ワイン商に「今年のキャラクターは過去の何年と似てるの?」と聞きます。気象条件が○○年と似ているということになるとその年のワインがどんなふうになるのかの予想はかなりつきやすくなるのです。少なくとも「50年に一度」とか「この数年で最良」などという言葉よりは圧倒的な信頼感があります。間違っても今年のボージョレーの出来がいいから仕入れをたくさん・・・とはなりません。


といっても、ワインの熟成というのは本当に予想を覆すことも多くて、先ほど言ったように1990年代のワインの姿は理解できても、2000年以降のそれぞれの年がそれ以前の何年と似ていても実際熟成を経てみると外れていることも多いのです。だからこそワインは面白い。スリリングなのです。


ボージョレ・ヌーボーのお祭り騒ぎもいいですが、実際のワインの美味しさを正しく伝えるためには何が必要なのか・・・メディアに浮かれるだけでは判断はできないのでしょうね。