遠い人忌野清志郎


忌野清志郎さんが亡くなり、メディアではファンたちの熱い思いが伝えられています。こんなに慕う人たちが多かったのか・・・と内心驚く思いです。


忌野清志郎さんが音楽シーンに登場したころ、若者は反体制であることが当たり前でした。体制に対して反抗的なければ引け目を感じるほど意味もなく攻撃的であったのです。音楽面でも特にロックシーンでは、反社会的であることことは人が息をするのと同じように普通のことで、現代のように生活者としては穏やかであることを標榜するロックンローラーなんぞあり得ませんでした。


特に反体制的であった団塊の世代全共闘時代の空気感は人生にいまよりももっと必死で、笑や多様な価値観を許容するものではなかったのです。それに比べると、私たち昭和30年代の世代はお兄さんたちを追っかけるように反体制ではあったのですが、もっともっと軟弱でした。


そんな私にとって忌野清志郎さんはロックンローラーの反社会的攻撃性を身体いっぱいに表現するお兄さんでした。軟弱な私たち世代には忌野清志郎さんはできればちょっと遠くから見ていたい存在、ファンであることを表明することは音楽的な志向だけでなく、彼の世間に対する態度のシンパシーも同様に持っていることを表明することでもあったのです。常にアグレッシブであった清志郎についていくのは10代後半から20代の私にはとても無理でした。音楽的な部分だけをとっても、そのころはロックを頭からバカにしているような偏向した愚かものでしたから、接点は全くなかったのです。周りを見たわしても清志郎ファンを思い出すことはできません。


やっと少し身近に感じられたのは1990年代に入って「パパの歌」を聞いたころ、さらに共通の自転車趣味を知って急速に近しく感じたとはいえ、なんといってもNHKで観たトリオでの演奏の圧倒的な音楽性にショックを受けました。こんなに巧い人だったんだ・・・と。しかし知るのは遅すぎました。



メディアで清志郎さんへの追悼を込める40代以降のファンたちと、私たち50代の間には音楽と社会の関わりへの意識にひとつ溝があるのかもしれませんね。40代以降の方々にとっての清志郎さんは愛すべき存在であったのに対して、私にたちのとっても清志郎さんはリアルな反体制のならず者の雰囲気をもっていたような気がするのです。


それにしても、放送倫理で自らをガンジガラメにしているメディアが、清志郎さんの死伝えるのに「こんな夜にお前に乗れないなんてぇ」「こんな夜に発車できないなんてぇ」と、お堅い放送局のニュースでも流しているのをみると、1970年代から今までのメディアの清志郎さんへの対応の変化はどんなもんであったんだろう・・・と頭がクラクラします。清志郎さんのスタンスは終始一貫していたのにね。