川上健一「渾身」


ヒッピームーブメント盛んな頃、インドの木賃宿で日本語の活字に飢えていた若者が、その宿で読みまわされていた山本周五郎「さぶ」のページをめくったとき、最初の二行を読んだだけであふれる涙を抑えることができなかった・・・・と書いていたのは、確かアリスファームを主宰している藤門弘さんであったと記憶しています。「さぶ」のファーストシーンは確か、「雨がそぼ降る中、さぶがなきながら橋をかけてくる」というような情景であったでしょうか。取り立ててどうといった内容ではないように思えるのですが、日本を離れた長い旅の途中、しかも日本的なものを否定したかった世代が、自分の中にどうしようもなくうごめいている日本を感じた瞬間なのではないかと感じたのです。


大好きな金子光晴の「寂しさの歌」にある
「かつてあの寂しさを軽蔑し、毛嫌ひしながらも僕は、わが身の一部としてひそかに執着していた」
を思い出したりします。金子は「寂しさ」という言葉で絶妙に日本的なものを象徴しました。


団塊の世代が否定し続けた日本的なものは、その後の私の世代にとっても忌まわしいものでした。


村社会にあるような濃密な人間関係、しきたり、「寅さん」に現れる人情を。


戦後すぐの生まれ、まさに団塊前期の川上健一さんは「渾身」でそれらの村社会がもつ日本的なものを肯定的に感動的に歌い上げました。


書評家北上次郎さんの力強いこの本のお奨めを聞いたのはずいぶん前であったのですが、やっと読めました。というより、最初の一ページから止めることができなくなるほど惹きこまれました。250ページくらいある本のうち100ページ目くらいから佳境の古式相撲の大一番の描写が150ページ近く続くのです。こんな破天荒な構成は読んだことがありません。そして、最初から最後まで何度も何度も泣いてしまう様な本には出会ったことがありません。


大好きな山本周五郎で泣いたことはありませんが、川上健一さんには気持ちよくやられました。若い頃否定的だった日本的なもので涙する私はやっぱりこてこての日本人です。


未読の「翼はいつまでも」もすぐに手にしなくては。