レボリューショナリー・ロード〜燃え尽きるまで
一週間ほど前の日記で映画「エレジー」を「カップルで見るには辛い」というふうに書いたばかりなのですが、それにこりもせず、さらにカップルにはハードルの高い「レボリューショナリー・ロード〜燃え尽きるまで」を先日の休日に観てきました。もちろんいつものように連れ合いと。
人というのは幻想をみる唯一の生き物です。
恋愛はまさにそのもの。
「あなたに恋してる」が「一生続く愛情である」という幻想にならなくては結婚に踏み切ることはできません。
同じように昨今の「自分探し」などというヤツも一種の幻想に違いありません。仕事も人間関係も自分にとっての最上があるに違いないと夢を描いて、時に職を転々とし、時に海外へ飛び立ちます。今よりももっとステキな生き方があるはず・・・それが幻想であることを知ることは恋愛や結婚と同じようにいつか突きつけられる現実です。
1955年 アメリカが輝いていた時代、一組のカップルが恋をし夫婦になり家庭を築きながら、夫は仕事に不満を持ち、夫人はこの閉塞状態を打破するには・・・「そうよ、パリへ行きましょ。私が働くわ」
その辺りから二人の愛情と人生の歩み方に亀裂が出始め、幻想に気づき始めます。
夫婦喧嘩という言葉では収まらないような罵倒が飛び交い、二人の心のすれ違いは収拾がつかなくなるのです。
ある映画評論家は「これはもう”シャイニング”(スティーブン・キング原作 スタンリー・キューブリック監督のね)である」と言いました。つまり夫婦の関係はほとんどホラーの域であるといっていいほどおぞましいってわけです。
確かにこの映画を若い結婚前のカップルや独身男女が観れば「なんて恐ろしい。結婚ってこんなに厳しいの?」と思うはずです。
ところが、人生長いこと生きてきて、人間の幻想もわかった世代にとっては「そう、そうなんだよなぁ」とか「これほど厳しくはないけどわかるよなぁ」と心のどこかで共感もしているに違いありません。特に離婚経験者なんぞは「あっ、これと同じこと言われたことある!」くらいのシーンはたっぷりあるんでしょうね。
幸い離婚経験はない私ですが、映画の最後で老夫婦の夫が、夫人の愚痴を聞いているような顔をしてそっと補聴器のヴォリュームを下げるシーンなんぞ、艱難辛苦を乗り越えた夫婦の幻想の成れの果てを見て、達人に拍手を送りたくなるのです。
「やっぱり、それッスか!先輩」