談志10時間 


BSで放映された「談志10時間」の録画を少しづつ観ています。


以前に放送されたドキュメンタリーの一部も盛り込まれ、その中にこんな映像が。


ある地方都市で行われた談志さんの独演会、演目は「富久」です。噺も後半、当たりくじを燃やしてしまった主人公が悲嘆にくれる部分のことです。噺は滑稽というよりは悲しさに満ちた談志さんの語り口と仕草なのに、何人かのオバ様方の絶え間ない笑い声。談志さんは「ここそんなに面白いとこぉ?そうでもないと思うんだけどなぁ」と思わず噺の合間に口にします。


楽屋裏に戻った談志さんのイライラは増すばかりでした。こんなんじゃやってられない。俺の落語が理解されない・・・と。


力のある芸人であればあるほど、観客の感情の盛り上がりを自分の手の中であやつるような快感を知っているものです。わけのわからない客の無遠慮な反応にいらだつ気持ちもわからないではありませんが、実際にはこういうのを表に出してしまうのは談志さんならではの逸話でもあります。


CDで聴く志ん生さんの落語の中にも、「自分の笑いを大仰に表すことで志ん生を理解しているぞと発散しているのではないか」といぶかるような女性の際立った笑い声がいっしょに録音されているものがあって、このたった一人の女性の笑い声が鼻について志ん生さん自体を効く気が失せてしまう録音があります。



落語に限らず自分の仕事を理解してもらえない時の苛立ちは誰にもあります。先日も・・・・おっと、こんなところで落語にかこつけて愚痴をこぼすのは野暮ってモンでした。ヤメヤメ。