日本酒の歴史〜お気楽な過去への批判


net上のある書評にこんな文章がありました。日本酒についての本に対する批判です。



「菊正宗、月桂冠、なんて日本酒を破壊した張本人たちがうまい酒に並ぶなんて。秋鹿、悦凱陣にどう顔向けするのか。本醸造の酒を認めているんだから根本から間違っている」


心ある意欲的な日本酒蔵をよくご存知で、美味しい日本酒がどこにあるのかをよく知っていらっしゃる方の言葉のように見えます。


確かに大手酒造の作る紙パック酒が不味く、秋鹿さん悦凱陣さんのように志の高い蔵のお酒とは比べるべくもありません。アルコール添加をした本醸造酒を否定するお気持ちもよくわかります。


しかしながらこれらの視点はすべて、美味しいものを知ってしまった今の人が、単純に過去を否定的に語っているだけのように思います。


ほんの三十年前、秋鹿さんも悦凱陣さんも全国区で名前のある純米酒だけを作っている蔵ではまったくありませんでした。この頃お酒が飲める年齢になった私は、三十年前から今までのことでしたら一般の方よりは少しは日本酒の歩んだ歴史と、時代の空気を伝えることができると思います。当時のことをちゃんと伝えなければならない・・・と、こういう言葉を拝見するたびに強く思うようになりました。


昭和50年代、経済成長を遂げやっと食べ物に対する興味も沸いてきて「食べ歩き」が高尚な(というほどでもないですが)趣味の一つとして庶民にも認知され始めた頃でした。まだグルメと言う言葉はないころです。やっと食べ物に文化的な光が当たり始め、とりあえず腹を満たすための食事ではなく「美味しいものを食べたい」という欲求が出て来ました。とはいえ、料理エッセイと言えば、邱永漢「食は広州にあり」 檀一雄「檀流クッキング」 荻昌弘「男のだいどこ」の三冊で食通本すべてを読破したと言えるくらいの量しかなく、料理専門書は辻嘉一だけしか出版されいないと言っていいような時代です。


しかしながら、ことお酒となると未だ日本酒は酔うためのもので、美味しさを味わうためのものと言う段階には入っていませんでした。大吟醸はちらほら見え始めたといっても一般消費者には熱燗が当たり前で、「生酒」「生貯」などという冷酒の提案がやっと新しい戦略として世の中に現れ始めていました。剣菱が酒飲みの間で最上とうたわれ、一部では地酒が脚光を浴び始めたのですが淡麗辛口などという言葉さえ認知されていませんでした。美味しいお酒が飲みたくても、市場で簡単に求めることはできず、本来の意味でお酒の美味しさを知らしめるようなものはなかったといっても過言ではないのです。つまりだれも知らなかったのです。そんな時代に「純米こそ本筋」とか「大手はけしからん」などという言葉は出るはずもありません(実は一部でそういう素地ができ始めているのですが)


私自身、日本酒の熱燗は美味しくはないと思っていましたが、ほかにはビールかウイスキーの水割りくらいしかありませんでしたから、酔うためにその辺りを飲んでいたのでした。まさに私にもお酒は酔うためだけのものでした。


因みに本醸造はこの頃現れています。全国本醸造清酒協会の設立が昭和50年4月。「日本の伝統ある清酒が最近とみに不振をかこっている事実を憂い、個性に富、しかも品質の優れた”本醸造清酒”(高精白の上質米を原料に糖類無添加、ごく少量のアルコール使用)の普及のために全国の中堅蔵元を中心に設立」されたのです。お分かりのように槍玉に上がる本醸造はたった30年ちょっと前には高品質のお酒であったのです。この時代の空気感を知っていれば「本醸造もってのほか」などの言葉はちゃんちゃら可笑しい戯言で、マリー・アントワネットの「パンが食べられなければお菓子をたべればいいのに」と同列にも思えるのです。歩んできた歴史を知らずに単純に否定的に語ることは、その時代を生きてきた人間には辛い言葉なのです。「昔の酒は不味かった」という言葉も気軽に口から出ますが、当時はそれ以上のものはなく今の時代と比べること自体無意味なような気がします。日本全体のそういう時代を経て現在があるのですから。


長くなりそうですので、続きはまた、資料を元にもうちょっとさかのぼってみましょう。