親の顔


先日みたインタビュー番組にNHK大河ドラマ風林火山」で劇的なデビューをした女優柴本幸が登場していました。この手のドラマはごくたまに見るだけですが、デビュー作であること知って驚いたほど存在感を示していたのが印象的な子です。


インタービューでも新人らしからぬ大人の立ち振る舞いで、安心して見ていられる上に、素顔でも人をひきつける魅力をもっています。両親である柴俊夫 真野響子のあくまで学業優先のしつけゆえにアイドルとしてデビューすることなく大人の雰囲気で世の中に現れました。23歳、考えてみれば同世代の就職活動をする大学生たちは、これくらいの社会的な身の処し方ができなければ社会人になれるはずがなく、少々若いとはいえ、話題の亀田某や沢尻某のほうが世間的には異常で、柴本幸が特別優れているというわけではないのです。(いえ、人並み以上に魅力的でした@訂正)


「親の顔が見てみたいもんだ」と人に後ろ指刺されるような子供に育ってしまうのは、親の教育方針というよりは親の生き方に問題がある場合が多いと経験的に思います。まさに親の背中をみて子は育つのです。子供がどれほど親を嫌っている場合でも子供が親以上にも以下にもならないのは教育方針を越えた「血」を感じてしまうのは私だけではないはずです。


それにしても亀田某、沢尻某、時津風某に対する世間(主にメディアの)バッシングの異常さはどうでしょう。「若いから少々は・・・」というお目こぼしはさておいても、微にいり細にいり非難と中傷を繰り返し「悪者には制裁を」とばかりに消えてなくなるまでいため続ける姿勢にはうんざりです。社会的制裁を超えたリンチを楽しむような世間の風潮は、日本を誤った方向へ向けさせるような気がしてなりません。先日読んだ半藤一利「昭和史」に「国民的熱狂を作ってはいけない」とありました。あの当時メディアが意に反して戦争プロパガンダの尖兵となったわけではなく、熱狂を積極的に煽ったことをよく表していた著作であったわけですが、「国民的熱狂」がこの手のバッシングに向けられているとしたら民度の低さは戦争前以下だといわざるを得ません。