感性の衰え


昨日、何が言いたいのかわからない日記を書いてしまって、反省することしきりなのでありますが、「わけがわからないこと」もあの日の私である・・・と恥をさらしたままにしておきます。


結局何が言いたかったのかというと、「あのケーキ屋さんが美味しくない」という誹謗中傷ではなくて、輝いて見えていた店が時間を経て輝きを失ってしまう恐ろしさを感じたということが言いたかったのです。それは即わが身にも置き換えられるお話でもあるだけにより深刻です。店が衰退したのか、時代が進歩したことに鈍感であったのか、いずれにしても常に前を向いて店が進歩し続けていることは大変です。進歩していない店に対してお客様は敏感で冷淡です。さらに異業種とはいえ、輝いて見えない原因が分析できない自分への不安もあります。


日本料理の場合でもご主人が年齢を経て円熟味を増した後に元気がなくなっていく姿をたくさん見ています。始末が悪いのは、本人は元気なつもりでいても感性は明らかに鈍っているのに自分自身でそれに気づかない場合です。いえ、ほとんどの場合本人は感性の衰えに気づかないでいるのです。身体が元気で精神も充実していても頭は古臭い。


たとえば昨日お話したような店を見てしまうと「大丈夫か、俺」と冷や汗が出ます。


「いやいや大丈夫だ俺」と思ったとしても、実は衰えていてもそれを認識していないのかもしれないのです。



やっと自分の料理の方向性が見えてきた40代からずっと、素材への信頼感が料理のバックボーンにありました。素材の力をしっかり見つめていればそれほど大きな間違いはないと信じてきましたので、創作の目新しさに脅威を感じたり、見た目の斬新さが即感性の新しさに繋がるとも思っていませんでした。とはいえ、いつかきっと私の信じていたものにも手垢のつく日が来るのでしょうね。