老師


仕入れなどでクルマ移動の時ラジオを聴くことがよくあります。


たまたまダイアルをあわせた時に聞こえたのが柄にもない「宗教の時間」


聴こえてきたのはどうやら禅僧らしき方のインタビューなのですが、声は若々しく内容は線香臭くありません。


いわく
「人生に切羽詰っていない時期に、宗教家に接してみるのもいいことです。世間話でいいのですね。宗教に垣根を作らず、頼りきらないのは大事です」
「人生の到達点はこうである・・・とか、真理を悟ることが出来る・・・などと語る宗教家は一歩引いてみたほうがいいです。宗教が人生の道しるべになることはあっても、真理に到達できるというのはいかがなものか。そういうのに身をゆだねて人生を誤ってはいけません」
「私自身を振り返ると、団体生活など絶対無理な自分が修行などできるだろうか?と考えたのです。それでも無理とかなんとか考えるゆとりもないほど忙しく修行をしていると、三ヶ月もしたときに”団体生活が無理”と思ったのはただの思い込みであったことが分かったんですね。団体生活ができないと思い込んだ私が永平寺に二十年もいたというのは、修行がつらいからではなかったんです。自分が思う自分自身などというのは案外いい加減なものなんですね」


あくまで、聞き覚えを書いただけですのでご本人の言葉とは違うかもしれないのですが、坊さんのお説教とはまったく違う意味の深さを感じました。この人の言葉は信じられる・・・と強く思いました。


後ほど調べたこのお坊様は南直哉師。高名な方でした。まずは著作から。



・・・・・と、信服したら、南直哉老師・・・・年下でした。年齢の問題ではないのですが。。。なんと煩悩多き我が人生か、ああ。