ワイン通の罠


誰が飲んでも美味しいワインというのがあります。熟成を適切に経たグレート・ヴィンテージ、ボルドーの格付けクラスの以上のものは、「ワインはよくわからない」という方が飲んでも、スムースな喉越しと柔らかくこなれたタンニン、適度な酸味でスルスル入ってしまいます。値段のことをおいておけば、「ワインってこんなに飲みやすいもんなんだぁ」とホクホク顔になること間違いありません。


それとは別に、理解するのに年季のかかるワインもあります。「何が美味しいのかわからない」「このワインがどうして偉大なのか理解できない」


私もたっぷりそういう経験がありますのでよくわかります。というよりも未だに発展途上です。が、しかし、本数を重ねていくと、特に「偉大なワイン」といわれるものを何本も経験していくと、わからなかった美味しさが理解できるようになります。そうすると、三年前に飲んだ「シャトー○○」っていうのは本当はものすごく美味しかったのかもしれない・・・と気づいたりするのです、すでに遅しなんですが。



たくさんのワインを経験し、それにまつわる物語や値段の高い安いのこともわかってくると、ワインを評価したくなってきます。基本的にワインの評価は褒め言葉彩られることが多くて、とても好ましいのですが、日本人はどうしても否定的に語ることで自分を高く見せたいと思う傾向の方が多いようです。「私はもっと素晴らしいヤツを飲んでいる」「このワインは落ちている(本来の姿を知っている)」「このヴィンテージじゃなくてもさらに○○年のほうが素晴らしい」


ワインだけを語るワイン好きだけの内輪の会を自宅で行っている時ならば、どんな否定的な言葉も自慢話も問題はないのですが、そのワインなりの適正と思われる値段を自分で払い、周りに他のお客様がいるときにはあまり心地いいものではありません。隣の席で、けなし言葉が乱れ飛んでいれば自分たちの食事を楽しめるわけがありません。


どんなワイン通でもこういう方と一緒に食事をするのは勘弁していただきたいものです。ワインというのは食事の楽しさの一端を担うだけのたかが飲み物なのです。