手練手管は気持ちいいか?

clementia2006-07-22



ジャズ・ファンもクラシック・ファンも同様にテクニックのある音楽家を好むものです。


新人なんぞがデビューしようものなら、ホンモノかどうかを査定(?)するのに、表現力以上にそのテクニックの確かさを見定めようとします。J-ポップの世界でも近頃では「上手い」かどうかは大きな要因になっているような気がします。まるでテクニックがなければ音楽家としての将来はないかのように。


今日話題にしようとしているジャズ・ヴォーカルの世界では、テクニックに加えて、物憂げな表情とか、少々つぶれた声とか、できれば悲惨なバックグラウンドがあれば、それだけで得点はあがろうというほど独特なムードが必要と思われています。


ビリー・ホリデーに代表されるジャズ・ヴォーカルのイメージは未だに根強く、エラ・サラ・カーメン(エラ・フィッツジェラルドサラ・ヴォーン〜カーメン・マックレー)と続き、現在でも私が最高峰と固く信じているカサンドラ・ウィルソンも見事にジャジーな雰囲気に彩られています。薄暗いジャズ・クラブが似合う感じとでも言ったらいいのでしょうか。



ところが、今聴いているサラ・ガザレク”Yours”はどうしたことでしょう。


まるでカレン・カーペンターを聴いているかのように、さわやかでインノセント、テクニックでオーディエンスを手玉に取るようなあざとさは微塵もありません。ひたすら清水のように歌声が心に染みこんでいくのです。もちろんよく聴けば、確かな音程とヴォイス・コントロール、自在な表現力を持ち合わせているのですが、彼女の歌には吉田美和子さんのような手練手管(ファンの方ゴメンネ)も、小柳ゆきさんのような老練さ(ファンの方さらにゴメンネ)も感じられません。私が毛嫌いしている「黒人みたいに歌う」(たくさんのポンニチ歌手のように)ことなど彼女には考えも及ばないのでしょう、ジャズ歌手なのに。20代前半にしてすでに自分のスタイルを持っているのです。


カレン・カーペンターがジャズ・ナンバーを歌ってもポップスに聴こえてしまうでしょうが、サラ・ガザレクはインノセントでもジャズとしか聴こえません。メディアが「天才」ともてはやすジャズ・ミュージシャンで、私も本当に天才と同意するアーティストは今のほとんどいませんが、サラ・ガザレクは天才ではなくても逸材であることは間違いありません。ヴォーカル・ファンにはお奨めです。