[世の中] KEEP WASHING MY HANDS


反面教師という言葉があります。


時々拝見する有名料亭ご主人の文章は、趣味人で、大人のたしなみを持っているうえに、一流品の何たるかをよくご存知であることを物語る格調高いものです。私など高嶺の花と思えるスーツ、シャツ、時計を身につけ、高級料亭、高級フレンチを食べ歩き、高価な酒について語るときの流麗さはたくさん味わっていなければ到達できないであろうと思われます。


が、しかし、貧乏人のひがみ根性か、文章を読んでいると「ボク○○も持ってるもんねぇ」「○○の常連だもんねぇ」「○○なんて何本も開けてるもんねぇ」という自慢話に聞こえてしまうことがあるのです。若くして事業に成功している方に対する、人生半ばを過ぎても自転車操業を続ける板前のねたみ以外のなにものでもないのです。が、やっぱり雑誌「ブリオ」によく登場する、いけてる成功者の薀蓄話に聞こえるのです。



ふと立ち止まって考えてみると、私も一流の何たるかを知らないくせに、同じような類のことを日記で語っていることがよくあることに気づきます。


「ボク○○ってお酒のよさ知ってるもんねぇ」(一回しか飲んでいないのに)
「ボク○○さん○○さん(<高級フレンチ高級すし店高級料亭)行ってるもんねぇ」(常連ではありえませんが)
「ボク作法のこと知ってるもんねぇ」(適当なこと言ってるだけなのに)
「ボク映画や音楽のこと知ってるもんねぇ」(”素晴らしい”っていう陳腐な言い方しかしていませんが)


知識も経験も少ない分、某氏よりも遥かに始末が悪いではありませんか。


いやだなぁぁ、嫌味な「自慢話」「薀蓄話」に終始して日々ヒンシュクをかっていないでしょうか?私の文章。反面教師を見て冷や汗がでる思いです。違った、反面教師ではなくて同じ穴の狢でありました。




この某氏、なんとこの田舎町の田舎料理屋に見えたことがあるのですが、やっぱり私なんぞは「板前風情」と見ておられるようで、文章は人を表すもんであるな・・・と、妙に感心したものでありました。同じことは狢の私にも言えるわけですが。