たった10分


映画”SAYURI”で「日本文化を理解していない」とのたまう方々自体どれほど芸者を知っているのだろうか?・・・・と書いた筆が乾かないうちに、映画「あげまん」のしょっぱなをBS録画で見ました。映画館で見たときにはこれといった印象のなかった最初の10分は、全く見事に芸者の成り立ちを描いているのでした。たった10分で、捨て子が拾われ、芸者置屋に置かれ、下働きからお稽古と立ち振る舞いの指導、半玉、旦那の贔屓、水揚げまでの贔屓と料理屋女将、置屋お母さんの阿吽の呼吸、本家大奥様のさじ加減・・・・くどいようですが、たった10分で過程だけでなく人物像と人間模様まで描ききっているというのは、映画の妙であり、伊丹十三の真骨頂なのであります。


半玉が水揚げの日に「浅い川」を踊る・・・・聞いていて懐かしいようなこそばゆいような、昔そんな芸者遊びで盛り上がったなぁぁ(私が水揚げをしているわけではありません)と遠くを懐かしく見るような。。。。そうえいば、あの映画でホテルの前に主人公を力車ではこぶ車夫さんのインタービューで、「普通の監督は力車の幌をあげてくれって言うんですが、伊丹監督は”幌が上がっていては不自然ですから下げてください”っておっしゃたんです。ちゃんと分かっていらっしゃる方だな・・・と嬉しくなりました」と語っていたことを思い出しました。


もうひとつ、”SAYURI”と同時期の大阪の花街と旦那の関係を克明に描いているのが山崎豊子の「ぼんち」 たぶんあの頃、大阪と京都(SAYURIの描かれた)の二つの花街だけでもそこには大きな差異があったのでしょうね。


いずれにしてもあの雰囲気を肌で知っている人の”SAYURI”話には重みがあるのですが、映画のディテイルにケチをつける間があったら、日本を知らないハリウッドがあそこまで日本(というかアジアに)を描く努力をしていることに敬意を表したいと思うのです。今の日本人のほとんどが芸者を知らないのですから、ましてや昭和初期の世相やライフスタイルも含めて「違う!」という言葉には説得力がありません。それならハリウッド流のデフォルメも脚色も映画としての美意識が貫かれていればそれはそれで見事じゃない・・・と思うのですね。悔しかったら伊丹流の理解を示すか、ハリウッド流のエンターテイメントを表現する能力を持つか、市川昆流(”ぼんち”の監督)の美意識を持つかまで語ってみたらよいのです。