まずお題目ありき


連れ合いが読んでいた「天然素材」という雑誌をぺらぺらめくっているとこんな文章が。



「なぜ純米酒かというとシンプルなのにとても奥深いお酒だから」
「その深み、滋味には年齢をかさねればかさねるほど身体に沁み込んでいく」


といって紹介するお酒は「丈径 純米無濾過生原酒 無農薬無肥料栽培米使用」


「まるでアムリタ、甘い水のようなお酒。”濾過しない、火入れをしない 割り水も加えない”酒の出來を安定させるため、たいがいの日本酒がほどこす作業をしていない」
「それは米と麹と水、これらが仲良く交じり合ってできあがる真っ直ぐな味」
杜氏さんはお酒をつくるというより、米、麹、水が時間を経て酒になる工程を手助けしているのだな、と思った」



「純米」「滋味」「深み」「無濾過」「生」「原酒」「無農薬」「無肥料」「アムリタ」「甘い水」「何も加えない」「仲良く交じり合う」「自然に」「時間が作る」「ただ手助けする」


美しい言葉が並び尽くされています。


「天然素材」のお題目なのでしょうか、自然である事、そのものの味であること、手を加えない事・・・が正しい、美味しい、安全、安心である。



間違いなく言えるのは「丈径 純米無濾過生原酒」は素晴らしくいいお酒であることなのですが、美味しいか不味いかの味わい以前に、まずはまとわりつく美辞麗句があって、それゆえに正しくて美味しいはず・・・・とうのがいかにも居心地が悪い気がします。


純米だから美味しい。
無濾過だから深みがある。
無農薬無肥料だから自然、安全。
いいものは自然に交じり合ってできる。
時間が作る。



滋味あふれる純米無濾過生原酒は確かに美味しいけれど、最初から最後まで通すにはちょっとばかり濃くて酸度が高くて重くて辛いかもしれません。甘い水のようなではなくて甘くない、ただ水のようにさらさらした無濾過生原酒とは対極をいくようなお酒もあったほうが料理との相性はいいかもしれません。


実質的にオヤジ達が「辛口頂戴!」と注文する日本酒は、もってのほかと言われるであろう「アルコールを添加」するゆえに切れ味がいい淡麗で、最悪の「炭素濾過をしまくって」水のようにさらさらになった「日本酒の出来を安定させる作業をたっぷりほどこした」お酒であることが多いのです。



純米無濾過生原酒のインパクトに衝撃をうけた20年前、そのころはまだ菊姫が年末に出荷するK-7くらいしか見当たらなくて、好んで使った時期があったのですが、当時はスローフードまがいのお題目と結びつくとは夢にも思いませんでした。今では全国の志のある小さな蔵がよく造るお酒になっているのですが、味わいにインパクトがある反面、荒っぽくて美しさにはかけるお酒になることも多いのです。概して純米無濾過生原酒はそういう危険性も秘めています。



自然なものだから美味しいはずである、天然だから滋味溢れているはずであるという単純な思考で「お題目まずありき」になるのには疑問を感じます。


「純米」だから美味しいのでも「無濾過」だから「生原酒」だから美味しいのでもないのです。純米無濾過生原酒の一部には美味しいお酒もある・・・のです。