音造りの違い

NHK「夢 音楽館」でぶっとんだ古謝美佐子さん、早速唯一のアルバム「天架ける橋」を買って聞いています。


同時に買ったのが長年のファンであるナンシー・ウィルソンの新譜「R.S.V.P.〜レア・ソングス、ヴェリー・パーソナル 」


音楽は比べるものではないとは重々承知しつつ、同じようにベテラン、重鎮、名手と言える女性歌手のアルバムの違いに目が向いてしまいます。


長い歌手生活で、アメリカでも大御所といえるナンシー・ウィルソンには歴史に残る大名盤がありません。それでもアルバムを作れば、いつもそれなりにちゃんと楽しめ安心して聞けるそこそこの名盤に仕上がっています。今回もそうです。


一方歌い手のしての実力が並外れていたことを初めて知った古謝美佐子さんは、アルバムで聞くと古謝さんの実力を100%表現しているようには思えませんでした。もちろん歌声は素晴らしい。圧倒されるほど素晴らしい。でも心に響いてこないのはきっとアルバムとしての音作りが今ひとつ確立していないからかもしれません。アレンジメント、選曲、バックアップミュージシャン、ミキシング、すべてがナンシー・ウィルソンを取り巻くアメリカの音楽とは違います。


ワールドミュージックとして発信できるようなレベルには達していないように思います。歌い手としての実力は間違いなく世界に通用するのに。


音楽はミュージシャンが作るんではなくてプロデューサーが創るものだ・・・という人がいます。沖縄民謡というローカルな音は生(キ)のままでも訴えるものがあるのですが、馴染みのないものにも親しみやすくするようにアレンジすることが、かえって魅力をそぐことになる場合もあります。


デュルス・ポンテスがファドのハートを持ちながらワールドミュージックとしての力を持つように、古謝さんほどの魅力をもつ歌い手には、世界に通用するような音楽を作っていただきたい。


素材の力を120%発揮するのは素材そのもの力だけではないのです。創り上げる人の力によるのです。我が身をふりかえりつつ思います。