知らなかった


学生の頃歴史は得意でした。


ウソです。赤点すれすれの他の科目に比べてほんのちょっと点数がよかっただけです。


が、
録画しておいたTVの歴史番組を見て初めて知りました。


聖徳太子を知らない日本人はいません。(と思います)授業では、推古天皇の摂政であるとか、冠位十二階や憲法十七条を制定したとか、遣隋使を送ったとか、仏教を保護したとかくらいは習った覚えがあります。ただ、情報として「摂政」「冠位十二階」「憲法十七条」「遣隋使」が項目としてあるだけで、考えてみたらその意味はまったく憶えていません。教えてくれなかったのかもしれません。


小野妹子を送った遣隋使は二回目であって、一回目の遣隋使では倭の国を国家として認めてもらえなかったのでした。国云々以前に官僚制度も法律となるものもない、豪族の集まりで成り立っていた倭を、隋が国として認めるわけもなく、これらの制度は、倭が巨大な国家を形成し脅威になる隋も念頭におき、国としての基礎を作るための諸策であったのでした。


私など、日本の国家として形はすでに大和の地にはあったものと勘違いしていたわけで、当時の豪族とはいえ、いわばやくざの親分の権力抗争のような様を呈していた倭に、冠位十二階や憲法十七条がもつ意味をイメージできないでいました。さらにそれが第二回目の遣隋使にどのように関わるのかなどという他国との関係など思いのほかでした。歴史を事象の記憶だけで覚えているのと、物語としてのイメージを持つかではえらい違いです。


西暦500年半ばくらいの日本などそんな処であったのです。


法隆寺東大寺がもつ中央集権的巨大国家の印象は、本当はやくざや盗賊の親分がのし上がって、国家を作っていく激変の時代として記憶されないといけない・・・・のでしょうか?


歴史の時間に、「昔国などなかった頃、やくざの女大親分の懐刀に聖徳太子ってのがいてね。抗争に手打ちをして、いろんな決め事を作ったのが”憲法十二条””冠位十二階”でさぁ」っていったら忘れられない。。。。。だめ?