ワールドカップ


今更民放のワールドカップ特集番組なんて・・・・と思いつつヴィデオに撮っておいたテレ朝の特番が思いがけない収穫でした。


沢木耕太郎さんがトルシエ・ジャパンを四年間に渡って密着取材した内容が興味深い。沢木さんはいつものように取材対象にピッタリ寄り添うようにして、信頼関係を築くことそのものをドキュメンタリーにしているように見えます。一度も公開されていないロッカールーム、ミーティング、試合直前直後のメンバーの打ち合わせ、トレーナーとの雑談の映像、報道で形作られてしまった虚像の中田ヒデとはずいぶん印象の違う本人、小野、服部、川口、森岡・・・・皆インタビューで見られる姿とは別です。ここで見られるメンバーの様子から、技術以外のモジュベーションのあり方とか、一つ一つの試合に臨むための戦術の確認が、試合にどう反映されるかが素人にも理解できます。サッカーというのはかくもナイーブなものであると。


トルシエの年齢と選手の年齢は、私ン処の調理場の布陣と似たようなものです。そこでの監督と選手の人間関係は全く特別なものではなくて、どこにでもある若者とそれをまとめ伸ばそうとする指揮官のそれでしかありません。年齢の割りには大人である、もまれているとはいっても20代の若者はやっぱり揺れ動き、40代の管理職はやっぱり40代なりに思い悩むように見えました。


今まで沢木耕太郎さんがトルシエ・ジャパンにこういう取材を続けていることは知りませんでした。ただ手法はいつもの沢木さんのものです。ワールドカップ直前に四年間の積み重ねを短い番組にまとめ、メディアにとってはお宝満載ともいえる内容を続々と出してきました。これで本番とその後も含めて取材を続け、一冊にまとめられる本は間違いなく面白いものでしょう。


カメールーン代表〜中津江村が代表するように、ホスト国日本の各市町村では歓迎ムード一色です。これが、各国代表にはかなり奇異に見えるということ聞きました。「武器を持たない戦争」といわれるサッカー・ワールドカップに友好、歓迎、交流は二の次三の次であって当然です。ワールドカップになれない私達日本人にはその感覚がまだ分かっていないのしょうね。日本人にしてみれば、異国の代表がくれば持て成すのが当然、村人総出で歓迎し、交流試合、歓迎会、お国の料理・・・・しかし、彼らは戦いにきているわけで、気力と体力を試合にあわせて最高に持っていくために全神経を研ぎ澄まさなければなりません。小さな子供たちが歓迎の歌を歌おうが、歓迎セレモニーが盛大であろうが、いちいち付き合っている必要ないのです。


ある国では、国対国の戦いであれば、空港からバスには投石があり、宿泊ホテルの前では夜通し騒いで敵国選手を寝かさない、試合場には釘やガラスがまかれ、審判はホームチーム偏重が当然なのだそうです。


そうやって考えると、交流、歓迎の名のもとにセレモニー各種で選手を疲れさせるというのは新手の戦略になるかもしれません。


昨日の開幕試合フランスV.S.セネガル、勝敗も衝撃的ですが、試合そのものが密度の濃いすごい試合でした。これが、ワールドカップ


一ヶ月連日では仕事になりません。


日本酒の会はちゃんとやります、もちろん。