珊瑚島

 うつくしいなどという言葉では云い足りない。悲しいといえばよいのだろうか。
 あんまりきよらかすぎるので、非人情の世界にみえる。
 胸のそこをむしばまれている少女たちのように、そこからはなんの肉情の圧迫を受けることができない。はげしい愛恋もない。熱の息吹もない。・・・・・うつくしい、けれどもそのこころは、痴呆のようになんにもない。夜のようにまっくらである。いや、陰影すら印すことのない明るさばかりの世界である。それだから人は、ひさしいあいだ、ここにとどまっていることができないのである。
 美貌の島。・・・・・・
 人生にむかってすこしの効用のない、大自然のなかの一部分のこうした現実はいったい、詩と名付くべきものか。夢と呼ぶべきであるか。あるいは、永恒とか、無窮とかいう言葉で示すべきか。

 
金子光晴「マレー蘭印紀行」珊瑚島より


珊瑚の島を美しさを語るのに、これほどの輝かしい文章をしりません。


この金子光晴の「マレー蘭印紀行」は紀行文の金字塔であると確信しています。


私が夏休みにのんびりしに出かけた小さな島は、金子がこの紀行文で書いたあたりにあります。


貧しくて、明日をも知れない旅行のなかで得た精神の自由は、豊かな時代を享受する私たちには遠く及びません。


かろうじて見た金子と同じ風景は、壁に這うヤモリだけだったのかもしれません。