12月8日
12月8日は「真珠湾の日」というよりは、「ジョン・レノンの命日」という気持ちのほうが強くなっています。
あれからもう20年。
ビートルズはリアルタイムで聞いた世代ではありますが、東京公演のころはまだ自分でレコードを買って熱狂するにはちょっと幼くて、「ビートルズ=オトナが白い目で見る若者グループ」でした。
その後、音楽に熱中する世代になっても、ビートルズとその後のジョン・レノンは私の心の中に響いてくる音楽ではありませんでしたが、メロディー メイカーとしてのレノンの際立った才能と、若者に強く訴えかけるカリスマ性は凄いものだという認識はありました。
というより、音楽を聞く以上、レノンを理解できないようでは話にならん、と言うような雰囲気が明らかにあって、「とりあえず他の音楽は聞いていてもレノンの才能は認めておこう」とはだれもが心の片隅で思っていたのです。
レノンがダコタ・アパート前で射殺された1980年。
私は5月から11月までの六ヶ月間、アメリカ・カナダをうろうろしていました。
大阪での修行を終え、地元に戻り家業を継ごうという時、言わば修行の垢を洗い流そうとしてのアメリカ行きでした。
聞こえは良いのですが、修行時代と言うのは、自由と進取の精神に溢れた大学時代とはえらい違いの調理場の雰囲気に圧倒されつづけ、封建的な上下関係、遊ぶ間もないほどの長い拘束時間ときつい仕事、なにより精神的に痛めつけられて疲れ果てていました。
日本人の人間関係、日本の社会そのものに閉塞感とやりきれなさも感じて外へ飛び出してみたかったのです。
1980年当時と言うのは、1970代半ばからのシルクロードブームなどでヨーロッパからアジアへ向けて旅行する若者や、藤原新也さんの著作に影響されてインドへむかう若者が多かった時代です。
しかし、封建的な板前社会に疲れた私には、オアシスはアメリカにあるような気がしていたのです。
貯めた無け無しのお金を握って、飛行機の往復チケットさえあればなんとかなると思いつつ出かけたアメリカは、確かに20代の私には夢の国でありました。
さまざまあって・・・・
いよいよお金がなくなり、帰国してまもなく、ジョン・レノンの訃報。
もうちょっとニューヨークにいるんだった、と後悔しました。
ニューヨークでレノンと同じ空気を吸い、同じ地でレノンが亡くなることを体験すれば、歴史を肌で感じていられたような気がしたのです。
レノンの音楽にはおざなりな興味しかない人間にも、それほどインパクトを与える出来事でありました。
あれから二十年、若いときに反発を感じた世代に私もなりました。その感性を今大事にしているか?
たった半年とはいえ、アメリカで感じた世界の広がりと、アメリカだからこそ味わった日本人としてのアイデンティティはどうなったのか?
ジョン・レノンの命日は20年前を振り返らせてくれます。