二人のパブロ


昨日パブロ カザルスのことを書きました。


パブロ カザルスに初めてふれたのが私の十代半ばから二十代にかけて、そして以前にも書いたパブロ ピカソにふれた(初めて感動したという意味で)二十代半ばです。


二人のパブロは十代から二十代の多感な時期に出合ったからこそ大きな影響を与えてくれたのだと思います。


ただでさえ貧弱な感性しか持ち合わせない凡人にとっては、なんとか情熱と言えるようなものを心に秘めている時期でなければ、これほど心に襞にふれなかったかもしれません。


この時期世間でもてはやされていたサイモン−ガーファンクルや少々古いけどビートルズなどにはすばらしい名曲がありますが、どう考えても私にとっては青春の一ページでしかありません。今でも同じ感性で聞けるかと言えば、その演奏自体は思い出の範疇に入ります。


が、
カザルスの演奏や、1956年から1969年にいたるマイルス デイビスなどは少なくとも30年以上同じ感性もしくはそれ以上の発見をもって聞くことができるのです。


これが私にとっての古典と言えます。


浜崎あゆみ、スピード、ルナ シー、小室etc、つんくetcが今の若者の古典となるのか?


橋幸夫潮来笠、舟木和夫の高校三年生などと全く同じレベルで考えられる流行歌と呼ばせていただきたいといっては反発をかうでしょうか。


クラシック、ジャズが高尚で、Jポップが低俗と言うのでは全くありません。興奮がすぐに冷めてしまう音楽より長い間聴き続けられたらお得ではないですか。
というのは悪い冗談ですが、一人の人生に一生影響を与え続ける音楽を創造できる音楽家や画家こそが、間違いなくアーティストと呼べるのだと思います。


そういう出会いを若いときにもてるかどうかは、その人の人生が豊かになるかどうかに大きく関わります。その意味では私はかなり幸せです。


ただの空回りの自己満足ではないかと言う人もいますが。