日本ワインの奇跡



サントリー シャトー・リオン・ノーブル1975


お得意様が持ち込まれたワインです。



1975は私がお酒の飲める年齢になった頃。当時の状況は肌で理解しています。


この頃、日本人が通常飲んでいたのは瓶ビールと熱燗。ワインブームはもちろん、焼酎でさえ、九州でしか飲まれないお酒、大吟醸などしらない時代、一般消費者の飲み物の選択肢はとても狭いものでした。


ワインと言えば、赤玉ポートワインが知られているのがせいぜいで、関税障壁もあって、海外から輸入されるワインもごく少量であったはずです。


私自身はこの2年後くらいに学生バンドの演奏旅行でカリフォルニアに出かけ、カリフォルニアワインの洗礼を受けました。


強烈に印象に残ったのが”Paul Masson" (当時でも安ワインだったはずです) 多分シャルドネであったのでしょう、こんな美味い飲み物があるのか!と驚いて二週間の滞在の間、レストランに入っては”Paul Masson White"を連呼していました。


とはいえ、日本ではワイン文化はまだ蕾がやっと芽生え始めたくらいの時代です。日本でワイン造りが行われていることですら、山梨以外の一般消費者は知りませんでした。


そんな時代に、偉大な貴腐ワインが誕生していたのです。




このシャトーリオン ノーブルはサントリーの名酒「登美の丘」へと継承されるわけですが、そのファースト・ヴィンテージです。


お持ちになったお得意様は当時高校生。雑誌「太陽」に載った限定千本の広告を見て、お父様に買ってほしいとねだったのだそうです。


高校生がワインをねだるというのも稀有。当時数万円という5大シャトーよりもはるかに高額なワインを高校生の息子のために買ったというお父様も稀有。


インターネットはもちろん、ワイン専門誌も見当たらない時代に、このワインを寝かせようと思った高校生も稀有を通り越して奇跡です。田崎伸也さんだって高校生だった頃ですから、ソムリエなんて日本人は言葉さえしらない時代です。



プロフェッショナルである私が、貴腐ワインの20年以上熟成したものを味わったことでさえ、この10年後でした。


日本の偉大な貴腐ワイン、しかもファースト・ヴィンテージが自宅で熟成されたものが果たして何本現存しているでしょう。なんと40年の熟成です。


希少で偉大なワインが正しく熟成された状態で、評価できる人に飲まれたという奇跡の瞬間に立ち会うことができた幸福。


ワイン好きの至福の時でした。