作法
お得意様がおっしゃいました。
「TV番組でね、お刺身を食べるときは醤油の小猪口を左手に持って食べるのが作法だって言ってたのを見たんだけど、ホント?親方」
近頃では、大人向けの雑誌でも、TV番組でも
「ホントの作法はこうである」
「日本料理の店に行ったらこうせよ」
「イタリアンに女性をエスコートするにはこうするのがもてるコツ」
「フレンチでワインを頼むときこうすればソムリエに馬鹿にされない」
エトセトラ エトセトラ エトセトラ
こういう作法が正しい これが礼儀というモンである こうすれ店に馬鹿にされない
オンパレードです。
さて、お刺身を食べるときは醤油の小猪口をもつべきか?
私的正解は「お好きにどうぞ」
です。小猪口を持たない方を馬鹿にして調理場で「あのお客様ってさぁ。。。」なんてことは1000%ありません。
ご自身が心地よく会話を楽しみながら料理を召しあがっている姿を見るのが料理人の至福の時です。
あえて、あえて言えば、昔はお刺身を食べるときに小猪口を持って食べた方が食べやすかったということは言えます。
いまでこそ、料理はテーブルで食べるもの、ややもすれば正座やあぐらをかいて食べることさえ珍しくなりつつあります。
ずっと以前は料理はお膳にのっているものでした。家庭でも一人一人に箱膳が用意されていて、商家では特に、箱膳にお茶碗 お椀 箸 お皿が入っていて、それらを取り出して料理は食べるものでした。
料理店でも私が幼い頃には座卓(テーブル)ではなくて銘々にお膳が並べられて、お膳に料理が盛られていました。座卓(テーブル)が一般的になってきたのは昭和40年代くらいではないか思います。
ではお膳はどんなものであったか。
テーブルになる手前の頃は高膳が一般的で、足の着いたお膳を使ったのですが、それ以前は平膳でした。今でも茶懐石では折敷(おりしき)といって平たいお膳を使いますね。
平膳の形状はこんな風でした。
この平膳には芸術的な猫足がついていますが、概して低いお膳が普通であったのです。(これも前回の「お預かりもの」と同様にお得意様からのお預かりもので、15客ほどある輪島の名品です)
正座 あぐらで座って平膳に料理が盛ってあると、畳に近い低い場所に料理があって、お造りの醤油を手に持たないと垂れて衣服と汚してしまうのですね。ですからこの時代は器を手に持った方が合理的であったわけです。
お茶事ではいまでもそれが当然です。(とはいってもお茶事に刺身小猪口はでませんが)
器ももてるような大きさのものを使うか、取り皿を用意するのが食べやすさのために必要でした。
それから時代を経て、高膳のほうが食べやすく普及し、座卓(テーブル)が当たり前になり、正座から掘りごたつが当然という風に料理屋の流儀がお客様のニーズに合わせて変化していったのです。
店をビルにした20年前には「掘りごたつの部屋なんて居酒屋さんみたいだ」と本気で思われていたのですから。
そうやって環境が変化したのですから、食べ方も変化して当たり前です。
お刺身を食べるときは醤油の小猪口をもつべきである。。。というのは、昭和も40年代以前のライフスタイルの時代の作法が残っていると考えてもいいのかもしれません。
何度も言うように、お客様が楽しそうに食べているのが一番。
そこに不都合があるのなら、料理屋の方が改善すればいいことなのです。
お客様に「こうあるべきである」とは、真っ当な料理屋は言いません。