net上の発言


ブログが大衆の間に広まり、twitter facebook mixiを初めてとするソーシャル・ネットワークの発達によって、無名個人の発言はnet上にあふれかえり、物言う人々の言いたい放題はとどまるところを知りません。


発言している人々は自身の言葉がどれほど影響力があると感じているのでしょう。


一日数十件のアクセス数のブログ、フォロワー数十数件のtwitter、友達数十人のfacebookで書くことくらい影響力なんてあるはずないと思って、人の非難、店の中傷、本やCDのおざなりな批評なんてお気楽にしていませんか?


お気楽な批判中傷・・・とまでも言わないまでも、9カ所ほめていても最後の一カ所のけなし方によっては、書かれた本人が立ち直れないほど落ち込む・・・なんて、書かれた本人が直接その発言をチェックしているとは全く考えずに書いてはいませんか?


実は本人が見ているケースって本当に多いのですよぉ。


検索能力が高い方であれば、自分自身への言葉の数々はnet上で簡単にみつけられます。


その上、以前の2チャンネル全盛の時代のように、net上の発言の手軽さ、匿名性を隠れ蓑にした倫理を欠く表現が各所で見られていた時代から、facebook twitterで少しづつ匿名性が薄れてきたことに気づかずに2チャンネルと同じノリで発言をすると手痛い事件がおこるようになってもきました。


誰が言ったのかが匿名のつもりで書いても素性がわかってしまうのです。


ことを料理屋に限っていっても、私の店など部屋数が少ないですし、献立は各部屋ごとに記録してあるし、どんな飲み物を出したかも十数年前に遡っても記録をたどることができます。写真までご丁寧にアップして店の批評をしていただけば、その方の名前はもちろん電話番号も、どういう素性の方でご一緒の方がどんな方かも簡単にわかります。批評の表現によっては逆にその方の舌をわたくしの方が批評することだってできるのです。お気楽な批判を書いている場合、書いた本人は見られているとは思っていないのでしょうね。私が逆の立場ならその事実を知ったら冷や汗が出て、その店の前をしばらく歩くことすらはばかられます。


私自身が長い間のweb日記の経験からアイタタタという失敗をたくさんしてきてそんな教訓を得ました。





・・・・なんてことを今日のお題目として書こうかな?・・・なんて今朝から考えていたのでした。


今日の昼、全く逆の立場に私は立たされることになりました。冷や汗が止まらないというのはこういうことなんでしょう。


ランチの時間もそろそろ終わりにかかるころ、お一人のお客様が店の暖簾をくぐられました。


お顔を拝見して、びっくり。大変著名な歴史学者の先生ではありませんか。


著作を拝読することはもちろん、BS系のTVやラジオ(松尾堂での出演が特に印象的でした)でたびたび発言を聞いていた方で、この春からこの地に赴任されたこともつい最近知ったばかりでした。


「町でお見かけしたら”ファンです!”なんてお声かけちゃおうかなぁ」などというミーハー心満載でいたご本人がなんとひょこり御来店なさったのです。


お席にお通ししてお料理を算段しつつ、著書を拝読していることを告げると、先生の方が「ブログ見てました。浜松に行ったらお店に行こうと思っていたんですよぉ。私の本のことも書いてくださっていましたよね」・・・・「○○は褒めてくださっていたけど、○○のほうは・・・実はあの本はねぇ・・・・」と話が続き、私は冷や汗がだらだらと。こんな板前風情の書いたことを今をときめく歴史研究者でベストセラー作家である先生に見られていたと思っただけで、消え入りたいほどでした。


そうなんです。見られているんです。こんなヤクザな料理人の言葉でさえ。


「発言には気をつけろ!」ってのはまさに私にこそ当てはまる教訓。 アイタタタタ(何度目だぁ?)