本のカバー

clementia2009-03-18



銀行でパラパラめくっていた雑誌で読んだ椎名誠さんの文章、「どうして日本では書店のレジで”カバーをしますか?”って聞くんだろう? 本にカバーなんていらないのに」と。


確かに


どうしてカバーが必要なんでしょう?


汚れないため?
で、読んだあと売るため?
蔵書をきれいに保つため?
電車などで他人にどんな本を読んでいるのか知られないため?


読み終わって書棚に入れる時にはカバーを外さなければ題名が見えませんから、読後はカバーを外すんでしょうねぇ。私の知り合いにカバーの上からマジックで題名を書いて、書棚でもカバーを外さないというツワモノもいますが。。。



私が立ち寄る本屋でもすべての店で「カバーはつけますか?」と聞かれるということは、カバーをつけることは大きな市民権を得ているということなんでしょうか?


私から見れば、本の素晴らしさは文章の内容と同じくらい装丁にもあると思うので、手に取るたびに、手元に置かれているのを見るたびにデザインが見られないなんてつまんない・・・と思うのです。


今読んでいる瀬戸内寂聴さんの「奇縁まんだら」 横尾忠則さんの表紙にカバーをしてしまうなんて、ほとんど犯罪・・・っていうのは言いすぎ?でも間違いなくもったいない。読むたびにこの表紙、眺めたいですよね。




ところで、装丁(そうてい)って言葉、私、幼い頃装丁(そうてい)を丁装(ていそう)って間違えて覚えてしまい、長いこと「ていそう」「ていそう」と言っていて、かなり大人になってから「”そうてい”だよぉそれ」とちょっと小馬鹿にしたように指摘されたことがありました。


それ以降「そうてい」という言葉を発するたびに、いったん頭の中で「そうてい?ていそう?」と確認してからでないと言えなくなってしまったのです。全くお恥ずかしいお話。


皆さんにはそういう覚え間違い、勘違いってありませんか? 私はほかにもいっぱいあります。言わないけど。


浅学なくせに見栄っ張りという性根は死ななきゃ治らないんでしょうね。はぁぁぁ。