工業化?機械化?

昨日 TV番組「ガッチリマンデー」獺祭(旭酒造)が取り上げられていました。


そのこともあって、前日にあんな記事を書いてみたわけですが、手際よく桜井会長が目指すところを表していましたね。


で、
昨日の続き



手仕事が素晴らしくて、機械化されたモノがだめなのか?


こと日本酒に関して言えば、力仕事は間違いなく機械に頼った方が効率があがりますし、たとえば、大吟醸など精米機の発達がなければ40%以下の高精米は実現できませんでした。


機械化によって人間の感覚だけでは不安定な部分、労力が大変な部分は補い、均一化できます。


調理場でも同様です。


スチームコンベクションをいれたのは20年前ですが、職人一人分の仕事を十分にこなす上に、未熟な技術でも安定した仕事を提供してくれる、文句は言わない、継続的に使えば人件費分を楽にまかなうことができます。


昨日のTV番組でも明らかなように、職人仕事を計測化し視点を変えることで機械化できる部分はたくさんあります。


獺祭旭酒造は機械化と従業員200人を使って100億の売り上げを可能にしましたが、秋田のゆきの美人(小林酒造)は全く逆に、小林さんが一人で酒作りをするために機械化を進め、通年で日本酒造りを可能にしています。


ゆきの美人さんがどの部分を機械化しているのかは蔵を訪れていませんのでわかりませんが、店では小林さんのお酒を切らすことがないほど好きな蔵です。


工業化といえるほどの機械化を進めて大量生産を可能にするのか?機械化をして一人で造ることを可能にするのか?


秋田県の酒造組合の技術部門のオピニオンリーダーでもある小林さん一人でやっている方が手仕事であるように聞こえますが、機械化という意味では同様です。


また獺祭では杜氏制度を廃止したことを大きなうたい文句にしていますが、銘酒として有名な田酒(西田酒造)もある時期から杜氏を廃して製造部長制度にしたと聞きます。


という事実でもわかるように、要は杜氏という名前が製造部長になったとしても役割分担をどように区分けするかは蔵の方針次第で、杜氏という名称がないからまずい酒で名杜氏といわれる方がいるから必ず銘酒になるというわけではないのです。


なんといってもお酒自体が美味しいかどうか?  です。


現場で日々お客様に接しているとわかるのですが、日本酒の美味しさを計る基準は全く千差万別。


ある方は甘いといい、同じ酒を別の部屋では辛いといい。 ある方は今ままで飲んだなかで最上だといい、ある方は同じお酒○○と同じ味だよね といいます。


私たち売る側は、お客様の偏見や独断的な好みよりもずっと公平でぶれない舌でお酒を判断し、楽しんでいただくためにどんな工夫をしたらいいのか?を見つめていかなくてなはなりません。


世の中にはびこる日本酒への偏見を廃して、お客様に満足していただく料理とお酒を提供すること、日々取り組んでいるとは言え、一生到達点は見えない仕事です。

「お店」 工業製品か手仕事か


日本酒は工業製品なのでしょうか? 手仕事なのでしょうか?


日本酒好きは「工業製品なんてけしからん。あくまで手仕事であるべきだ」と違いなくいうでしょう。


そもそも工業製品と手仕事の線引きはどこにあるのでしょう?


機械化された工場で、杜氏の経験値を数値化しコンピュータ管理で大量の製品を作ることを可能にした蔵なのか?すべてを人間の感覚と昔からの器具で造る蔵なのか?


人の力仕事を軽減するための機械を導入することは作業をスムースにする一方、酵母という生き物を管理する感覚をはたしてどこまで機械に頼ることができるのか?


疑問符ばかりが続きましたが、工業製品と手仕事の境目は微妙なのです。


酒好きが感覚で、あの酒は手仕事だと思っていた蔵が案外巨大で、マーケッティングの力で美味くイメージを作り上げているケースがある一方で、短期間で規模を大きくし、機械化を進めたことを公言したのに実際には結構手仕事の部分を残しているのだと聞く蔵もあります。


素人にとっては味だけを見て工業製品か否かを味わい分けるのは難しいのです。


で、
お話は日本酒 獺祭(だっさい)です。


近頃、販路をさらに広げ海外進出も本格的に視野に入れているのか、メディア露出がふたたび増えてきました。


2010年を超えた頃だったでしょうか、旭酒造(獺祭)の経営スタンスは明らかに変わりました。


五階建ての蔵を建設し、「杜氏の感に頼らず、その経験値を数値化して安定した日本酒作りを目指す」 メディアによく登場し、プロデューサーの匂いを感じました。


日本酒マニアには聞き捨てならない台詞だったかもしれません。杜氏の豊富な経験こそが美味い日本酒を造るのだという職人教条主義者が多い日本酒好きの間では問題発言といってもいいものだったのかもしれません。


しかしながら、2000年頃から続々と現れ始めた代替わりで革新した蔵の多くは、醸造学を学び日本酒をデータでもとらえることができる、30−40代の若者が牽引しました。


それらの若者は20年30年の経験値をもっていたわけではなく、時代は長い時間の経験だけで日本酒を造るのではなくなりつつあるのかもしれません。


日本酒の世界は酵母の働きの分野でも、酒米の育成の分野でも科学的な裏付けをもとに飛躍的な伸びがあった時代でもあります。





さて、
そうやって話題になった獺祭は一時入手が難しいなどといわれながらも、順調に売上を伸ばし、2013年には37億円。その四年後の2016年には108億円の売上を記録したそうです。(経常利益でも8倍近い伸びだとか)


日本酒蔵がこれほどの伸び経験したのは昭和40年代の造れば売れる時代を除いてはありえません。


造っても売れない時代にこの急成長は経営的に見て奇跡に近いといえます。


小規模でも真面目にいいものを造ることが脚光を浴びがちな時代、日本酒など手仕事が重要であると思われる業界では経営的な成長は手放しで賞賛を浴びにくいかもしれませんが、私はこの成長に大きな拍手を送りたいと思います。


ある程度以上の品質を保ちながら大きな成長を遂げたことは、日本酒の間口を広げることに貢献したはずです。


何より、企業として「儲けること」「成長すること」「存続すること」ほど大切ことはありません。志だけ高くても食べていけないのでは存在意味がないのです。





私自身は獺祭が二割三分を世に出した初年度からこのお酒を飲んでいますが、切れ味だけだったお酒に味の奥行きが出てきている今の獺祭を日本酒の品質的に十分に評価してはいますが、必ず店のラインアップに載せたいお酒というほどでもありません。


私ン処のように小さな店では、料理の食材も、日本酒も、料理そのものも作り手の顔が見えることを一番大切にしたいと思っています。蔵元の顔、杜氏の顔がメディアを通じてではなく、酒質に表れて愛おしいと思えるお酒だけで仕事をしたいのですね。


ですから、獺祭の挑戦の姿をじっくり眺めつつ、日本酒ひいては日本の食がさらに充実したモノになることを願いながら、獺祭とは別の方向から取り組んでいきたいのです。

 趣味のための休日


趣味のために店を休みにしたことはこの40年で、「山下達郎コンサート」一回だけでした。

 
すでにいい年なのに、朝から夜遅くまでドロドロになるまで働くことが身についてしまって、自分の楽しみのために仕事を休むという感覚がなくなっているのです。


まっ、それほど仕事をしないとやっていけないという厳しい時代が続いたと言うことでもあるのですが。。。



そういう感覚の私に、年末間近の週末土曜日に「お楽しみ」があるんでいかがですか?といわれても、私の脳内は当然のように即却下。


仕事仕事!  


「身を粉にして日銭を稼がないで店を維持していけるわけないでしょ」と天使だか悪魔だかがささやきます。



年末間近の週末土曜日にお誘いがあったのは、40年前に所属した大学時代のビッグバンド ハイソサエティ・オーケストラ 年に一度の同窓会でした。


アラ還バンドで「ソリテュード」弾きませんか?


アラ還とはアラウンド還暦バンド(還暦前後 AKBともいいます)のメンバーが集結するバンドです(皆未だに楽器を持つかなり上手な連中です)


netからの連絡に「ごめんね、時期的に無理。 懲りずにまた誘ってね」と 即決でお返事をしました。


毎年この時期に行われる同窓会には同じ理由で一度も出席したことがなかったのです。


数百人を擁するこのバンドの同窓メンバーひとりひとりに出欠の連絡をしているにも関わらず、連絡をくれた幹事長のTさんはその後も、ユーモアを交えた言葉や写真で「一緒に演奏しましょうよぉ」「楽しいですよぉ」と嫌みなく誘ってくれました。


そして昨日、決定的なFBメッセージが


演奏予定のソリテュードをBGMにしてバンドの60周年コンサートの写真の数々がフラッシュで送られてきました。


あの夢心地だったあの一日がフラッシュバックするだけでなく、何百人も声をかける中で、たった一人のためにこの音源と写真達を編集してくださった田辺さんのやさしい心遣いに激しく心を揺れ動かされました。


私が出なくても還暦近い優秀なベーシストなんて何人もいるのに。。。


この心意気に感じないでどうする!  と、「出席します!!」のお返事を秒速で打ち込みました。


素敵な後輩に恵まれて幸せです。


というわけで、11月25日(土)はお休みです。


しかし、Tさんのきめ細やかな気配りと絶妙のタイミング、この優秀な手練手管に落ちた仕事相手、美しい女性が何人もいるに違いない。。。と先輩であることを笠に着て想像をたくましくしたのでありました。


ああああ、楽しみ。

 病院通い


もう立派な老人領域に達した私ですので、病院通いの割合が増えてきました。


昨年末より少しづつ進行していった腰痛が五月に入って坐骨神経にまで達し、これまで頼っていた様々な治療がいよいよ効果が出なくなってきて、20年ぶりに整形外科を頼りました。


椎間板ヘルニアの手術をした20年前に比べると、手術法も薬も驚くほどの進化をしていて、「手術もありかも」という素人の憶測は外れ、「これくらいなら投薬治療で大丈夫です」と診断されて、ホッと息をつきました。


幸い、この商売、お得意様に優秀な専門医がたくさんいてくださり、今回もかなり融通を利かせてくださり助かりました。



総合病院では当たり前のように待ち時間がそれなりにあるのですが、ふと周りを見渡すと、本を読んでいたのは30人くらいいた待合所の中で私だけ。私より人生の先輩が多いせいか、スマホをいじっている方も皆無。


皆さんどうしているかというと、ぼんやり、何もせず、じっと待っていらっしゃるのです。


私なんぞ、スマホで仕事関係の事務処理をこなし、仕入れのための連絡をし、読みかけの本に熱中していました。


病院の待合所=本が読めて嬉しい


という感覚は特殊なのかもしれません。


いつも申し上げていますが、読書が勉強のためになるとか、教養を深めるという考えは一切持っていません。TVを見たり、ゲームに没頭したりするのと全く同列の娯楽ですから、こんなに楽しみに使える時間をボーーーとしているなんてもったいない・・・と思ってしまうのです。


が、
これが「もったいない」と思うこと自体、貧乏性のなせる技なんでしょうねぇ。


ボーーーっとしていることができない人生ってある意味寂しいかも、と思った病院の待合所でした。



とにもかくにも、一回の薬の服用で、痛みに集中力を欠きそうになっていた坐骨神経痛が少し改善し医療の進歩に目を見張っています。

:[料理] なくなるのか?お茶漬け


フードライターにして郷土料理研究の第一人者白央篤司さんtweetで皆さんがどんなお茶漬け 漬物を食べているか?という問いかけがありました。


そういえば、お茶漬けって自宅で食べることがなくなりました。


様々なtweetを見るうちに気づいたことがあります。


お茶漬けって冷や飯が残っているから食べるもの。お茶漬けのためにご飯を炊くことってありません。


電気炊飯器ができるまでは、食事のたびにご飯を炊くことは贅沢でした。


私は料理屋に生まれ育ちましたので、幼い頃もご飯のたびに炊きたてがあったのですが、一般家庭では朝 炊いてお櫃に移し、昼などは間違いなく冷や飯であったかも。


因みにキャンプに使う飯盒って一人に一個ではできあがりの量が多すぎるのでは?とずっと思っていたのですが、軍隊では一回炊いて、それを一日かけて食べていたんでしょうね。


そんなご飯事情は昭和30年代までだったと思います。


近頃では一人暮らしでもある程度の分量のご飯を炊いて、即冷凍というのが一般的のようです。


つまり冷やご飯って存在しないのですね。


ついでに言えば、お茶を日常的に茶葉から入れて飲む家庭も少なくなりつつあるとか。急須が家にないなどという状態は私には想像できないのですが、実際そういう家庭が増えているのだそうです。


冷や飯があったとしても、ペットボトルのお茶でお茶漬けって「気分」じゃぁないでしょうね。


さらに言えば、漬物を常備する家庭が減り、自宅で漬物を漬ける方は少数派になっているそうです。


日常食を簡単にコンビニで、ということが頻繁になれば、お茶漬けの出番は皆無になるのは必定です。


「ご飯 お茶 漬物」 昭和の時代にはどこの家庭にもあたりまえにあったものがいつの間にか変遷してなくなったり、食べ方保存方法が変わったりしている今、お茶漬けは「昔 私が幼い頃にはお茶漬けって言う美味しい食べ物があって。。。」という時代がやってくるのかもしれません。

 子羊


子羊を使いたいと思ったのは、30年くらい前。


フレンチの名店「アピシウス」の高橋調理長が焼尻の子羊だけを使っていると聞いて、焼尻の役場まで電話をしたりしたのですが、数量が少なくて当時は入手が全く無理でした。


で、


子羊のおいしさを初めて知ったのは15-20年くらい前、フランスボルドー ポイヤックの子羊が手に入ったときでした。


当時、私たちでも手に入っていたニュージーランド産とは全くの別物。フランスで肉と言えば子羊を最上とするという意味がはっきりわかりました。


が、
三〜四年後、口蹄疫で輸入がストップして以降入手ができなくなったのですが、数年前、十勝産の子羊が手に入るようになって、再び子羊が献立にのぼるようになりました。


鴨でさえ足があるとさばくのが苦手でしたので、四つ足は魚と違ってかなりの強敵でした。ほとんど毎回格闘。


ちゃんと習ったことがあるわけではありませんから、さばいては食べ、さばいては食べて確かめていきました。






普通、羊は匂いもなかなかのもので、一頭さばくと一日中調理場に匂いが抜けないものだったのですが、この子羊は匂いは皆無。内臓でさえ「香り」しか感じません。


お客様も「えっ?これが羊なの? 匂いないよぉ」とおっしゃってくださいます。


聞けば、生後一年のラムとフォゲットの中間くらい、餌も選んだものだけを与えているのだそうです。加えて日本人の繊細さが細部にまで行き渡って極上のお肉に仕上がっています。


こういうお肉は単純に焼いて、骨からフォンをとって煮詰めてかけるという単純な料理法が一番のような気がします。


優れた食材を前にすると料理人はできるだけ手をかけないというのが鉄則です。

 街の料理屋さん


蕎麦 鮨 が一部で特別な食べ物になったのは2000年以降・・・なんだろうか?


などと考えていました。



週末に、東京で暮らす娘と二歳の孫が帰っていて「食事 どうする?」と聞くと


「回らないお寿司」という返事が返ってきました。


幼児といっしょに入店できるお寿司屋さん、はて?


と考えてみると、以前はどこの街にもあった、街のお寿司屋さんが少なくなっているのに気づきました。



近隣の住民に愛され、家族でも一人でもふらっと立ち寄り、お造りにビール、焼き物とお吸い物をもらって日本酒、最後にいくつか握ってもらう。


小さな子供といっしょなら小上がりの座敷でわいわい言いながら好きなものを頼む。


来客があったり、お正月には出前で桶を頼む。


なんていうお寿司屋さん。


繁華街でなくても住宅地の一角にひっそり佇むお寿司屋さんが、とうちゃんかあちゃんでやりくりして十分にやっていけたのです。


ところが、昨今では幹線道路の回転鮨が、休日には行列をなしている一方で、街のお寿司屋さんは息子が跡を継ぐことなく静かに商売をやめていかれます。


かと思えば、東京の銀座 青山 六本木では、子供連れなどとんでもないという高級店をたちあげる若い職人さんが次々と現れています。


二極化と単純に片付けられる状況ではないような気がします。


庶民のための街のお寿司屋さんが風前の灯火となることが経済的歴史的な流れなのでしょうか?


同じようにレバニラ炒め 八宝菜 普通のラーメンがある街の中華屋さんも同様。


チェーン店ではない街の小料理屋さんも同様。


このままで行くと、私ン処のような和食店もなくなる日がくるのは必然かもしれません。



で、
お目当ての街のお寿司屋さんはありました。


毎朝 私よりも早く魚屋さんにでかけ、仕込みに手抜きをしない方がいました。


持って行く食材も 仕事ぶりの真面目さも十分に知っていましたので、安心してでかけ、家族の楽しい時間が過ごせました。


が、
このお寿司屋さんも息子さんは跡を継ぐ予定はないようです。